宇宙の秩序の中で

クレマチス

読売新聞6月14日付夕刊によると、
アインシュタインが「神」について語った手紙が新たに見つかったのだという。
ブラジル・サンパウロに居住していた物理学者ボーム氏に宛てた
1954年の手紙で、アインシュタインは、
「もし神が世界を創造したのだとしたら、彼の一番の気遣いは、
 われわれにとって世界を簡単に理解できるものにしないことだったに違いない。
 50年来それを強く感じている」
と書かれているそうだ。


神様は我々に「宇宙」というそう簡単には解けないような難問をお与えになった。
有り余る時間とともに。
まるでゲームのように。

我々は混沌の中に放り出された宇宙の孤児のように見えるけれど、
果敢にも、その宇宙の秩序を読み解いて、着実に正解に近づいている。

近づけば近づくほど、その正解らしきものが逃げてゆくけれど。

でも、世の中は全くの無秩序、混沌の中にあるのではなく、
実は美しい秩序の中にあるのだ、
ということを知ることは、なんて気持ちがいいんだろう。


庭



音楽も同じ宇宙の秩序によって記譜することができ、
それを読めさえすれば、世界のどこにいても同じ音楽を奏でることができる。
それは長唄や義太夫の邦楽であっても同じことで、
先人が苦労して、無秩序に見えるものの中に秩序をみつけてくれたおかげで、
私たちはそれを読み解いて、皆で演奏することができる。

それを駆使すれば新たな楽曲を創造することもできる。

そういうのは、ちょっとすごいなあ、と思うのだ。

産めば海路の日和有り

嫁に対して「子ども産むなら早い方がいいよ」とは言えないのは、遠慮からだけではなく、
当然お嫁ちゃんの事情への思いやりや配慮からです。

人にはそれぞれ考え方や事情や生理的都合があるので、
それらを無視して意見することなどできないからです。

が、しかし、それでもなお、もっと素直に本当のことが気楽に口に出せたら、
「早く言ってくれたらよかったのに〜」ということはなくなるだろうと思います。

というのも、欲しいと思う頃には、年齢的に生理的に、
生物学的な産み時を逸していることが多いからです。


現代では40を過ぎても50を過ぎても、
あの手この手で妊娠出産をすることが可能な世の中になりました。
自分自身の卵子が老化して使い物にならなければ、
若い女性から卵子の提供を受ければいいし、
配偶者の精子が使い物にならなければ、精子バンクから提供を受ければいいのです。
受精卵を戻すべき自分の子宮に問題があれば、借り腹をすればいいわけだし・・・。

もう、いっその事、養子縁組じゃだめですか?


若くして望まぬ妊娠をしたけれど、出産して育てることが不可能な女性の子どもを、
豊かな資産はあっても子どものいない夫婦が育てることは可能です。


子どもが欲しい、育てたい、という希望があれば、なんとかなる世の中になりました。



それでもなお、自分と自分の配偶者の間の子どもを自分自身が産み育てたい、
という希望を持つのはものすごく自然な気持ちで、
それなら、絶対、早い方がいいのです。



友人に「私、もう45だよ。」そう言って、泣かれても、なんだかなあ。
「どうしようか、何回受精卵を子宮にもどしてもできないし、
 もうやめようかと思うけれど、まだ、二つ凍結受精卵があるし、
 もう少し頑張ってみる。」
自分でそう結論を出すのなら、やめろという権限は私にないし、
その時点で配偶者は60をとっくに過ぎ。
それでも有り余る資産があるからいいんだろうけれど、
どうなの?それって。

夫には前妻との間に妻に近い年齢の娘もいるわけだし、もういいじゃん、
と思うけれど、
妻にしてみれば、「私と夫との子が欲しいっ!」て思うわけだし、
子どもを持つ事が彼女の生き様として切実な願いなわけで。


どんなに文明が進化しても妊娠出産はものすごく原始的なことをくりかえしているわけで、
それが現実なのですよ。


だから、四の五の言わずに、さっさと産んだ方がいい、と思うわけ。
産めば、海路の日和有り。
今大変でも助けてくれる人もでてくるし、力になってくれる人もいる。
なんとかなるからさ。


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忖度社会

海辺の街の友人の家に小学校時代の友だちが集まったのだけれど、
それぞれに家庭を持ったり、持たなかったり、同じ年月を重ねて、
孫のある人もいて、「孫バナシするようになったのかあー」と、
感慨にふける。

息子のある人、娘のある人、その息子に嫁のある人、息子がバツイチの人、
嫁に出した娘のある人、嫁に行かぬ娘のある人。

今回は女ばかりが集まって、言いたい事言い合って、気楽に愚痴が出る。


私は娘を持たないので、長男の嫁さんとのうっすらとした距離感に戸惑いがある、
ということを話す。
お嫁ちゃんはすごく良くできた子で安心だし感謝してるけど、
自分の娘だったらもっと遠慮なく言ってしまうかもしれない事も、
グググっと我慢して言わずにおく、ということもある。
キャリアを積みたいのもわかるけど、子ども産むなら早い方がいいよ、とは言えない。
「それは自分の娘に対しても同じよー」娘をもつ人が言う。
本音は言えない、言わぬが花、なのよね。


あああ、昔の様に遠慮のない親戚のおばちゃんが独身の身内をつかまえて、
「あんた、さっさと結婚しないと行き遅れるよー」と言ったり、
結婚したら結婚したで
「さっさと子ども作った方がいいよー。
 40過ぎて早く生んどきゃ良かったって思っても遅いよー」
と、情け容赦なく、言葉の爆弾を振りまくことなどなくなって、

なんか、表面はみんなお利口でよそよそしい。


言葉爆弾のおばちゃんがいいと言うわけではないし、
私だって、そういうおばちゃんをデリカシーのないウルサい奴めと思っていた。
生めない事情、大人の事情、人に気安く語れない事情、あるかもしれず、ないかもしれず、
それはわかる。
だからその辺、こちらも当たらず障らず。
疲れることこの上ない。


美人に美人と言っても、ブスにブスと言っても、
セクハラ、パラハラ。
出産など個人の性に関することなど、口に出すのも、もっての他だという風潮。

ああ、しちめんどくさい、キュウクツだ、と思う。


こういうのを忖度社会というのだよ。

相手を傷つけまい傷つけまいとして、いつのまにか自分が傷ついているのだよ。

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まあ、そういう事もあるさ 3

っていうか、
危うく見える息子の生活も、
彼自身が誇りをもって自ら選択して生きているのだ、
という主張を聞けて、そういう息子をこちらも誇りに思った。


いつまでも子ども扱いで子離れができないでいたのは、
こちらだったのだと、
遠くへ行ってしまった息子はSOSを出されるまで、
ただ見守るしかないのだと、

当たり前かもしれないけれど、
そういうことを、頭ではなく身体でわかるのは、
なかなか難しい。


息子に悪かったなあ、と思う。



ミュシャ2
(ミュシャ)

まあ、そういうこともあるさ 2

自分が子どもだった頃は親の価値観を押し付けられたり、
自分の世界観、価値観を尊重されないことに憤りを感じて
深く心をさらけだしたり交わったりすることをやめてしまった。

そういうことで傷ついたり、辛い思いをしたりした。

なのに、結局自分も親になってみると、
良かれと思って余計な事をして、子どもを傷つけているのだと、
息子からのメールで気が付く。


息子が傷つくということが一番辛い。

親って過剰だなあ。
過剰で前のめりで、しちめんどくさいなあ。



自分だって親に素直に甘える事ができずに勝手に傷ついたり、
勝手に憤慨したり、勝手に嫌ったりしてきたのに、
親になったら同じ「親」になっているよ。


親子って難しいなあ。

いい親よりも大切なこと


親の心子知らず、子の心親知らず。




まあ、そういうこともあるさ 1

人は誰かの世話を焼いているのが幸せなんだよね。

誰かの役にたつとか、そういうことじゃなくて、
人にでも動物にでも、誰かに何かするという行為自体が幸せなんだよね。

でも、それを受ける方はうっとうしい。


草間彌生
(草間彌生)

たいしたことではないのだけれど、
息子に、「いらないというモノ」を買ってあげようとして、終いにはキレられた。
いや、ただ勝手に買ってあげたかっただけなんだけどね、
そういうの、息子からしたら迷惑なんだね。

子どもにもいろんなのがいて、
調子良くホイホイ買ってもらうことに抵抗ないヤツもいるけれど、
まあ、色々。



人にでも動物にでも何かをしてあげたくなるのは、
それが本能的に喜びだから、なんだと思う。


でもそれを拒絶されると悲しいなあ。
ああ、鬱陶しいんだな、放っといてくれって思うんだな、
というのはわかるけどね・・。

ささくれていた心は柔らかい色とりどりの布地に触れて
なんだか癒された。

不思議だ。

ミュシャ
(ミュシャ)


疑問

自分が世界を見る見方とか、正誤、好悪の判断基準とかは、
子どもの頃の親の考え方に根ざしているものが多い、と感じる。
成長することで社会から自分で学んで得たものもあるかもしれないけれど、
その根底にあるものは、生まれ持ったものと、親の影響が大きい、
というのは否めない事実であり、私はそれが嫌ではない。

平凡ではあったけれど真面目で頑固で勤勉で信心深い父と、
従順な小心者でありながら小さい反抗心と柔らかい勝ち気さを持った母、
そして茶目っ気のある二人からもらった
私の考え方感じ方性格はそう簡単に変わるものではない。


人はそれぞれに自分の信条に沿って生きていて、
誰もがわざと悪い方向を向いて生きているわけではない。
誰もが幸せになりたいと思っているし、その権利も自由もあり、可能性もある。

それはわかっていても、他人の感覚がカンに障って、心がサワサワとすることがある。

頭では理解できても、気持ちが納得しかねることもある。


そういう時はどうしますか?
黙ってそこを離れますか?


他人と過去は変えられないけれど、自分と未来を変える事はできる、
なんて言いますけれど、
それが一番困難なことだと思います。


夫婦って? 3

私たちは、一人一人が主人公の人生を生きている。
自分の人生の証言者は自分だから、
自分の都合のいいように脚色して記憶していることもあるだろう。
実態は一つだとしても、見る角度によって見え方も違う。
本当のことなど何もわからない。

歌の先生の夫と一緒に暮らす若い女(といってもアラフィフ)から、
逆に歌の先生夫婦を見たらどうなのか。

夫先生が指導する女声合唱団の演奏会に妻先生がゲストで出たことがあった。
いつにも増して妻先生は舞台前ナーバスになっていた。
声出しをしたいの、空き部屋はないかしら。
のどの調子がおかしいの、水はない?ドレスの具合はどう?
裏方で手伝っていた私もあたふたして舞台に送り出した。

合唱団の人によると、客席の一番前で足を組んで腕組みをして、ふんぞりかえって、
夫先生の女が聞いていたのだそうだ。
え〜そうだったんだ、顔見れば良かった。
その女がコンサートに現れたのはその一回だけだった。


歌の先生は、夫先生が家を出て行ったときは
「いずれ破綻して戻ってくるでしょうよ」と言っていた。
そのうち「犬を飼ったからもう帰らない」と言った。
「夫には財産があるから、女は放さないでしょう、女はずるい」と言った。
「夫が病気になっても怪我をしても、女がいて枕元に近づけない」と言った。

それでも、「自分と夫の間には若い頃二人で海外で苦労した強い絆があるから
それは誰にも邪魔されない」と言った。

そうだろうか。


女から見たら、
扱いにくいでっかい我がまま男を日々面倒みているのは自分だと思うだろう。
いつまでも離婚しないでごねているのは妻だと思うだろう。

妻との共同事業のオペラ制作のために散々目をつぶってきたのは自分だと思うだろう。
妻のコンサートに行く夫先生を止めないで送り出してやっているのは自分だと思うだろう。
財産のことばかり考えているのは、妻の方だと思うだろう。

妻はもう何もかも手にしたのに欲張りだ、ずるいと思うだろう。


女たちの思惑の真ん中で、男はいつも動かない。
一番ずるいのは誰?

先生のコンサート

私の歌の先生(アラ古稀)は還暦からご自身の歌のレッスンを再開して、
数年に一度コンサートを開いている。
若い頃からのご自身の体調の不安もあり、オペラ歌手の夫をサポートするためもあって、
指導やプロデュースなど裏方に徹してきて、還暦を越えて、満を持してのデビューだった。

毎回押さえる会場は小ホールとはいえ、450席ほどある。
それを一人の歌い手で埋めるというのはなかなか大変な事だ。
それが毎回満員御礼である。
高校の同窓会、受験時代の同門会、大学の同窓会、
ご自身の関わる合唱団がいくつか、夫の関わる合唱団がいくつか、
主宰するオペラに関わった多勢の人々、弟子等々々。

コンサートが終わる度に感想を聞かれる。
いつも感じる独特の雰囲気をどう言ったらいいのか・・。
会場全体が先生の親兄弟か指導者にでもなったような、このかんじ。

夫の不貞に極めて冷静に達観してみせ、
びっくりする程下町のおばちゃん的ガラッパチで、
根は真面目で頭脳明晰な先生は、実は小心でグチグチと悩んだりするのだ。
それをまた隠す事も無く皆に話す。

舞台に出てくる歩き方がかっこ悪いと言われて、どう歩いたらいいかわからなくなり、
歌っている時の手の動きが悪いと言われて、ピアノをつかんだまま離さなくなり、
ドレスも何を着たらいいか悩みまくり、上手く歌えるか心配で夜も眠れなくなる。

だから会場は、上手く歩けるか、手の表情はどうか、
歌は間違えずに歌えるか、高い声が滞り無くでるか、
手に汗握りながら、一体となってドキドキしているのだ。

変なコンサート。

そういう先生だから、歌のどこをどう歌おうか、
この声をだすためにはどうしようか、という計画がはっきり見えてしまう。


もっと無責任にコンサートを楽しみたいなあ、
不貞夫はいい加減だけれど、そのコンサートは何も考えずに楽しめたなあ、と思うのだ。


夫婦って? 2

義太夫や長唄をやっていると、かつての日本の男女のあり方、夫婦のあり方に、
びっくりすることが多い。廓や妾は当たり前である。
そこでいかに恰好よく遊べるかに人間の品格が出る、と言われるくらいで、
生家から離れたところで暮らしていた男に女ができて、
生家から許嫁が来たら、もめるのではなく、許嫁を正妻にして、女を妾にして、
万事めでたしめでたしなのである。
現代の人間からしたら、「はあっ?」という結末でオッケーなのである。

「ああら、私の師匠も妾だったし、そのまた師匠も妾よ。
 それも2号さんどころか、3号さんだから。
 旦那が死んで、土地も財産ももらって、散々いい思いしたのよ。
 いい時代だったのね。」
義太夫の師匠はそう言って笑った。

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