すずらん

いつか、どこかで、すずらんを見た。



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そうだ、父のいる病院の裏手で、
父とお散歩の途中に見たのだった。


豆粒のように、小さい花が愛らしい。

                             (2014.5.4)

By This River


Brian Eno      By This River





Here we are
Stuck by this river,
You and I
Underneath a sky that's ever falling down, down, down
Ever falling down

Through the day
As if on an ocean
Waiting here,
Always failing to remember why we came, came, came:
I wonder why we came

You talk to me
as if from a distance
And I reply
With impressions chosen from another time, time, time,
From another time

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                            (2014.9.9)

着物のコーディネート

基本的に、着物への帯合わせは
 ①同系色か
 ②反対色か
 ③着物の中の一色をとる
の3つ。


全身のコーディネイトの基本は4つ。
 ①同じ色の濃淡
 ②同系色の色違い
 ③反対色で合わせる
 ④着物や帯の一色をとって小物を合わせる(調和色と言う)


小物も含めると、着物は全身5つ(着物、帯、八掛,帯揚げ、帯締め)の色のコーディネイトが重要で、
 ①帯揚げ、帯締めの色を同じにする
 ②全てを同系色にして、帯締めだけを反対色にする
という合わせかたがある。

                               (2011.12.18)

大切なことは目には見えない

 スタンリー・ドーネン制作・監督  「星の王子さま」(1974年)



王子さまにキツネ(ジーン・ワイルダー)が歌う「Closer And Closer And Closer」
臆病なキツネが本当に大切なことを教えてくれます。
そう、目では見えない本当に大切なこと。






お互いが大切なかけがえの無い存在になるために必要なこと。
少しずつ、少しずつ、少しずつ近づいていくこと、
少しずつの時間の積み重ねで、特別な存在になること。

「友達になったら、君は単なるふつうの男の子じゃなくなる。
 僕もただのキツネじゃなくなる。互いに大切な人になるんだ。」

「別れが悲しいのは、相手を愛した証拠。」






これはおまけ。

ヘビ役の、ボブ・フォッシーがすごい。




マイケル・ジャクソンの踊りのルーツですね。
ビリー・ジーンにのせるとこうなります。
ちょっと画像はよくありませんが、タイミングはピッタリですね。




                           (2013.6.15)

ある晴れた日に

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私の母の母です。
明治40年(1907年)生まれです。
これは高等女学校の制服?1920年代でしょうか。
女学校の寄宿舎では、歌ったり絵を描いたり、詩を読んだりするばかりで、
自分の靴下すら洗濯することもなく、お姉さんがすべてやっていたそうです。

「母の母」と呼ぶのは、若干25歳で3歳だった私の母を残して結核で亡くなったこの人に
私は会ったことがないからです。

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髪型から、これもまだ結婚前でしょうか。

夫の任地の北海道で夫婦とも結核を患い、それぞれの実家にひきとられ
あいついで亡くなったそうです。
私の母は、ですから田舎の祖父母に育てられ、それなりに大切にはされていても、
自分の事を、親のない子、厄介者だとずっと思っていたようです。


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母親を亡くしたころの母、でしょうか。


「お母様に会いたい」と書かれた作文が残っています。

思春期の私は全てに反抗的で、母は理解に苦しんだと思います。
自分は親に育てられた経験がないから、あなたを上手く育てられなかったかもしれない
悪かったとあやまられても、私には何も言えなかった。
母は頑固者の夫(つまり私の父)に対して、自分は帰る家がないから、
と、ひたすら、付き従うばかりでした。


母は自分の分身のように思い、最も頼りにしていた長女(つまり、私の姉)に先立たれました。
私と妹はそんな母の気持ちを汲む事ができなかった。

父も母も姉も亡くした私達はたくさんたくさん年を重ねてようやく
そんな母の気持ちを受け入れようと思えるようになりました。




三浦環の蝶々夫人です。

母は、多才だった自分の母親と、世界的プリマの三浦環を重ね、また、
自分の母親が病で引き裂かれた夫を思う心と、蝶々夫人のピンカートンを思う心とを重ね合わせ、
自分の心の支えにしていたようです。

                             (2012.11.2)

歌行灯  泉鏡花

月の夜、桑名に着いた能役者の恩地源三郎と小鼓師辺見雪叟は、
車に引かれ、湊屋という宿へ向かう。

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車の音にまじって、博多節を唄う門付けの声が響く。

声の主は恩地喜多八。
彼は三年前、伊勢の宗山を芸の勝負で自殺に追い込んだために、
叔父源三郎に勘当され、門付けに落ちぶれていた。

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喜多八はうどん屋で、その勘当の顛末を桑名の按摩相手に物語る。


一方、湊屋の二老人のお座敷には、芸のできぬ芸者、お三重がいた。
実はお三重は亡き宗山の娘、お袖であった。

父宗山亡き後鳥羽の郭に売られたお三重は、冷たい海の巌の上で泣いた。
その後古市で芸者になったが、どうにもこうにも不器用で、三味線ひとつできずにいたところ、
格子先を通りかかった門付けの博多節が、身震いする程上手いので、
もう、恥も何も忘れて、どうしても三味線の覚えられぬ事を話した。

その門付けこそは喜多八で、
喜多八は堤ケ岳の雑木林で五日間、お三重に「海人」の舞を教えたのであった。



座敷で「海人」を舞うお三重の舞いに喜多八の手を見た恩地源三郎と辺見雪叟は
その舞いに謡と小鼓をあわせる。

その響きに誘われて、宿の外、謡を唱和する喜多八。
喜多八に引き敷かれる、按摩の影。

月の夜、舞と謡と小鼓、桑名の海の太鼓と、按摩の笛の音、
それらがたくみに縫い合わされていくのであった。


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  「いえ、私はな、やっぱりお伊勢なんですけれど、
   おとっさんが亡くなりましてから、継母に売られていきましたの。
   はじめに聞いた奉公とは嘘のように違います。
   お客の言うこと聞かぬ言うて、陸で悪くば海で稼げって、
   崖の下の船着から、夜になると、男衆に捉まえられて、
   小舟に積まれて海へ出て、月があっても、島の蔭の暗い処を、
   危ないなあ、ひやひやする、木の葉のように浮いて歩いて、
   しんとした海の上で、・・・・悲しい唄を唄います。」

  「そしてお客の取れぬ時は、船頭衆の胸に響いて、
   女が恋しゅうなるまじないじゃ、お茶挽いた罰や、と云って、
   船から海へ、びしゃびしゃと追い下ろして、
   汐のひいた巌へ上げて、巌の裂目へ俯向けに口をつけさして、
   (こいし、こいし)とよばせます。」

  「空には蒼い星ばかり、海の水は皆黒い。
   闇の夜の血の池に落ちたようで、ああ、生きているか・・・
   千鳥も鳴く、私も泣く。・・・お恥ずかしゅうござんす。」

  「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。
   ・・・芸も器量もないものが、生意気を云うようですが、
   ・・・たとい殺されても、死んでもと、心掛けておりました。」

  「私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様にさらわれるかと思いましたえ。
   あとは夢やらうつつやら。あけがたうちへ帰ってからも、
   その後は二日も三日も唯茫としておりましたの。
   ・・・堤ヶ岳の松風と、五十鈴川の流の音と聞こえます。
   雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。
   ・・・舞も、あの、さす手も、ひく手も、唯背後から
   背中を抱いて下さいますと、私の体が、舞いました。
   それだけより存じません。」


18の頃、私は小さなアトリエの舞台で、このお三重を演じました。

                               (2012.9.7)

止むに止まれぬ思い




「止むに止まれぬ気持ちが歌になる。
 ただの言葉では伝えきれない思いが歌になる。」


「歌詞を読んでごらんなさい。声に出して言ってごらんなさい。」

                                  (2012.11.02)

真っ当に生きる

  手を広げ 宇宙に向かって立ってみる
    
       朝の光の   我が家の舳先




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                                  (2012.1月)

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