素浄瑠璃の会

池上にある實相寺というお寺さんで素浄瑠璃の会があった。

實相寺

語りのための見台がうーんと端っこにある。その隣に三味線弾きが座る。
今回は途中から、その隣にツレ三味線が座り、その隣に琴の弾き手が座る。
だから前半はずーっと端っこで二人が演奏しているのだ。


實相寺 絵1

後ろの絵の拡大。



演目は「本朝廿四孝  十種香より奥庭狐火の段」
浄瑠璃は豊竹芳穂太夫、三味線は鶴澤清丈


上杉謙信の娘 八重垣姫(やえがきひめ)は父の敵方武田勝頼に恋いこがれ、
父の追手から勝頼を助ける為に、
兜に宿る狐の神通力で、凍結した諏訪湖を一直線に駆け抜ける、
というお話し。


歌舞伎や文楽のお姫様の役を赤地の衣装をつけることから「赤姫」というが、
その中でも三つの代表的な大役を〈三姫〉という。
「廿四孝」の八重垣姫
「金閣寺」の雪姫
「鎌倉三代記」の時姫
数多いお姫様の役の中でも至難な役、なんだとか。


八重垣姫は、敵をあざむくために花作りに身をやつした勝頼に、
あなたは本当は勝頼様に違いないと言って、無理やり取りすがる。
なんかすごく積極的だ。

私が今お稽古している「鎌倉三代記」の時姫は、
敵方の若武者の母親のもとに勝手に押し掛け看病をしている。
母親を心配して戦場から戻って来た若武者に
どうせ母親はもうすぐ死んでしまうのだから、
今すぐ夫婦になりましょうと、取りすがるのだ。


なんというか、歌舞伎や文楽のお話しの中では、
運命に翻弄されるがままの男に対して、
決然と自分の恋路にばく進する女が多くて、
面白い。

實相寺 絵


それは決してむくわれはしないのだけれど、
人の持つあからさまな本来の姿だからこそ、
何百年も語り継がれてきたのだろうな、
と思う。


梅川

義太夫の7月の浴衣会での私の出し物は「傾城恋飛脚 新口村の段」。
1月に前半をやり、今回は後半。

この話しについては過去記事
つっころばしみたいな男 その1
つっころばしみたいな男 その2
に詳しく書いた。

新口村という田舎から大阪という都会に出て、商人になり、
それなりに出世した男忠兵衛が、
梅川という傾城(遊女)に入れあげ、公金を横領してどうしようもなくなり、
二人で落ち延び、故郷の新口村で実の親に出会い、さらに落ち延びて行く、
というお話しだ。

忠兵衛という男は何とも情けない、役にも何も立たない男なのだが、
それでも優男で、いいところがあるのだろう。
そういう男を「つっころばしみたいな男」という。

で、女の方だけれど、これがなかなか演じにくい。

「全体に力が入り過ぎ。
 梅川は西の方の人なんだからさ、
 東男に京女って言うでしょ。」

「梅川はもっとさ、もったりまったりした女だから。
 だから一緒に逃げて行けるんだから・・。」

なるほど、確かに私はそんな男と一緒に逃げたりはしない。


明烏

7月に義太夫の浴衣会が終わると、
また半年新しい演目に取り組む。

今年の浴衣会での私の出し物は、近松門左衛門の「冥土の飛脚」をベースに、
のちに菅専助、若竹笛躬によって改作された「傾城恋飛脚」の「新口村の段」。

義太夫節で語る文楽の出し物の三大演目は
「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」で、
これが何段にも分かれているのだから、これだけでも「やりで」があるし、
他にも人気演目は山ほどある。

「新口村」を一年やって、世話物(下世話な男女の話し)は飽きたから、
三大演目のような時代物(貴族や武士階級の大事件)で
切った張ったの大立ち回りもスッキリしていいなあ、なんて思っていたけれど、
やっぱり、どうもおどろおどろしたものがやりたくなる。

本当は「曾根崎心中」をやりたいけれど、
これは著作権が文楽協会にあって、勝手にやるわけにはいかない。
「心中天網島」「女殺油地獄」とか・・。


そこで新たにやってみたいものは。
「明烏」


新内節に「明烏恋泡雪」(あけがらすこいのあわゆき)という演目がある。
本当にあった心中事件を題材にしている。
春日屋の若旦那時次郎が吉原の女郎浦里に入れあげて身を持ち崩す。
時次郎と別れるように古木に縛り付けられて折檻される浦里を時次郎が助け出し、
禿のみどりと三人で塀を越えて逃げたと思ったらそれは覚めてみれば跡もない夢であった、
というお話し。


落語の「明烏」(あけがらす)はこの前段で、堅物の時次郎に閉口した父親が、
町内の札付きの源兵衛と多助に時次郎を吉原に連れていってもらったら、なんのことはない、
朝様子を見に行くと、うぶな時次郎に花魁がぞっこんになって離さない、というお話し。


これが義太夫節になると、「明烏六花曙」(あけがらすゆきのあけぼの)
浦里に岡惚れしている彦六が、浦里を助けて一緒に逃げるつもりで縄をほどいてやり、
路銀を預けて、お宝の巻物を取りに行った所をとっつかまり、
浦里は助けに来た時次郎と娘のみどりと夜明け烏の鳴く頃逃げて行った、というお話し。
義太夫節は男と女の切羽詰まった状況を最後はチャリ場(おふざけ)で終わる。
そこが義太夫らしい。


「まあ、ちょっとまだそれは無理じゃないかい」(その演目はちょっと難しいよ)
という師匠が、「やってもいいよ」と言ってくれなきゃ、ない話だけど・・・。


一人反省会

世の中は警句に満ちているけれど、
それを自分に引き寄せて、身にしみて感じるには、

それなりの受け入れ態勢とタイミング、潮時、というのが大切なんだ。


義太夫演奏会の一人反省会。


物語を語る時、
その登場人物はどんな物を着ているのか、
ペラペラの薄物を着た三下なのか、
金襴緞子の分厚い重い打ち掛けの女房なのか、
それを表現できなければいけない。

語るには何より、息が大切。
息をしっかりしないと、全てが上滑りになり、
息が浅いと、人物が浅くなる。
息継ぎは、次の登場人物の息でしないと、人物が変われない。



ということを、ああそうか、と身にしみて思うのは、
実際に語ってこそ、だな。


義太夫は音曲を踏まえての語りだから、
語りは上手でも三味線に合わない音痴だと聞きづらい。
だけれども、しゃらしゃらと、調子良く音に合わせて流れてしまっても
面白くない。
何か、どこかで律しつつ振り切る、ということができるといいなあ。

仮名手本忠臣蔵 三段目 「裏門」




文楽 「仮名手本忠臣蔵」

文楽 「仮名手本忠臣蔵」大序、二段目、三段目、四段目、
            五段目、六段目、七段目、八段目、九段目。


文楽 曾根崎心中 2

元禄12年(1703年)、大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と
内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が
西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にした
近松門左衛門作人形浄瑠璃「曾根崎心中」は、
影響を受けた男女の心中事件多発のため、幕府から上演禁止となり、
復活上演されたのは初演から実に252年後の昭和30年(1955年)。

原作をアレンジ脚本脚色作曲したのは野澤松之助。
現在も著作権が文楽協会にあって、勝手に演奏することはできない。
というわけで、ものすごく人気のある演目で、文楽の公演では時々かかるけれど、
女流義太夫の演奏会ではあまり演奏されない。

文楽 曾根崎心中

文楽「曾根崎心中」 近松門左衛門・作  野澤松之助・脚色/作曲    解説




「曾根崎心中 生玉社前の段」




「曾根崎心中 天満屋の段」





「曾根崎心中 天神森の段」



つっころばしみたいな男 その2

「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)
これは近松門左衛門「冥途の飛脚」の下段を、のちに、
菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)の両名が改作したものです。

近松門左衛門の原作は冷徹で、愚かで哀れな結末。
それではあまりに厳しくつらすぎる、ということか、
現在は近松門左衛門「冥途の飛脚」は上巻、中巻が上演され、
下巻のかわりに、もっぱら、「傾城恋飛脚」あるいは「恋飛脚大和往来」という題名の
最終巻「新口村の段」が上演されるようです。



三味線の手も節も情緒豊かで、哀切でかっこいい。


でも、なんだか、忠兵衛が優男で頼りなくて・・。
まあ、そんな奴だから公金横領して逃げ出さなきゃならなくなったのでしょうが、

忠兵衛は自分の故郷に落ちて来たからいいようなものの、
梅川だって、京に残した両親が心残りだということに、言われるまで気が付かない。
自分の養子先の親や許嫁(いいなずけ)のお諏訪にも会って不埒の詫びをしたい、なんて言い出す。
この期に及んで、許嫁に会って詫びをする?

なんかズレた人だなあ。


「つっころばしみたいな男だから、しょうがない」
師匠はそう言って笑います。


「つっころばし」とは、wikiによれば、
歌舞伎、上方和事(江戸の荒事に対する上方芸)の立役(男性)のこと。
語源は「肩を突いただけで転びそうな」ということからで、優柔不断な若衆役。
商家の若旦那や若様という甲斐性無し。あわれを通り越して滑稽ですらある、と。


早い話しが、馬鹿な男なのです。

つっころばしみたいな男 その1

「傾城恋飛脚」は近松門左衛門の「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)を
のちに菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)が改作したものです。
「新口村の段」は主人公忠兵衛と遊女梅川が公金横領をして、
忠兵衛の故郷新口村へ逃れるという、物語全体の最終章です。

「冥途の飛脚」と「傾城恋飛脚」の二作の内容は大筋では同じです。
大阪の飛脚問屋亀屋の跡取り忠兵衛が新町の遊女梅川を身請けするために
堂島の大名の為替金三百両の封印を切って流用してしまい、
二人は忠兵衛の故郷大和の新口村へ逃げていく。
という情けないお話しです。



冥途の飛脚




近松門左衛門の「冥途の飛脚」では、実に端的に、
忠兵衛が追いつめられて大名の為替金に手を付ける、
公金横領のようなことをしてしまうという、
その様が描かれています。

忠兵衛は大和の新口村の大百姓から大阪の飛脚問屋(為替金を扱う)に養子に来た身、
都会の生活が水に合って仕事を覚えて商才を発揮し、町人必須の趣味教養も身に付け
着物の着こなしもセンス良く、廓にも平気で行けるような、
「いい感じ」の若者ですが、新町の遊女梅川に入れあげた。
歯止めが利かなくなっているところに、梅川の身請け話しが持ち上がった。
田舎者のじじいに請け出されてしまう前に、
と友人である丹波屋の主人八兵衛あての為替金五十両を使い込んで手付金にしてしまう。


八兵衛は諸々飲み込んで、まあ、表沙汰にはしないでやろうということにはなりますが、
忠兵衛はこのままでは危うさを心配し、女郎たちに為替金流用の件を話して、
忠兵衛を相手にしないでくれと頼み込む。

それを聞いていた短気な忠兵衛は、自分の「一分」、梅川の「面目」をつぶされた、と
懐に入れていた大名の為替金三百両を養子に来たときの持参金だと偽って、
その場で八兵衛に五十両を突っ返し、残金払って梅川を身請けしてしまう。


馬鹿ですね。


お女郎たちや八兵衛は、なあんだそうかそうかと帰っていくのですが、
事実を知らされた梅川は忠兵衛と大阪を落ちて行く決心をする、というわけです。

近松門左衛門の「冥途の飛脚」の下巻では、忠兵衛と梅川はみぞれ降る新口村まで落ち延びて、
忠兵衛の父孫右衛門から路銀をもらいますが、すぐに追手に捕まってしまいます。
捉えられた忠兵衛は親の嘆きを目にしては来世の極楽往生祈念のさまたげになるから
目隠しをしてくれ、と大声で叫びます。これは「めんない千鳥」として有名です。

愚かで哀れな結末です。




これはツラすぎるということなのか、
近松門左衛門の下巻の代わりに、現在演奏されるのは、
もっぱら、のちに改作された方の「傾城恋飛脚 新口村の段」です。


新口村の段



どこが違うか。
まず、舞台はみぞれまじりの寒村ではなく、白い雪につつまれた故郷。
ふたりは揃いのすそ模様の黒紋付きなど着込んで色っぽく粋な様子。
親爺殿の孫右衛門に出会うのですが、目隠しをされるのは忠兵衛ではなく、孫右衛門。
ここで親子の体面をしたら大阪の養親に会わせる顔がない、と言って、
息子に会う事を拒む孫右衛門に目隠しをしてあげましょうと梅川がいい、
ありがたいありがたい、と孫右衛門は感激して親子の体面をするのです。

孫右衛門から路銀をもらい、逃げ延びる道を教えてもらい、落ちて行く二人。
「長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」
という親子の情を前面に押し出した段切れ。



日本人はこういう方が、好きなんですね。



長くなりましたので、続きます。

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