女流義太夫

「義太夫」とは

日本の三味線音楽には「唄いもの」と「語りもの」の2系統があります。
「唄いもの」(唄物)・長唄、地唄(上方唄)、荻江節、歌沢、東明節、大和楽など。
「語りもの」(浄瑠璃)・義太夫節、常磐津節、富本節、清元節、一中節、加東節、宮薗節、新内節など。

浄瑠璃というのは語りものの事をいうのですが、浄瑠璃姫の物語が爆発的人気になって、
語りもの全般を浄瑠璃と呼ぶようになりました。

浄瑠璃姫
(MOA美術館所蔵)

義太夫節は、一七世紀後半に竹本義太夫によって創始された三味線音楽です。
大夫の語りと三味線の演奏で構成され、
義太夫節三味線は、太棹を使用して、迫力ある重厚な音色が特色です。
その義太夫節と操り人形が合体したのが人形浄瑠璃です。

文楽というのは本来、操り人形浄瑠璃専門の劇場の名前(文楽座)です。
文楽座は、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を
大坂高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされます。

今では文楽座しか残っていないので人形浄瑠璃=文楽になりました。


文楽は浄瑠璃語りの大夫、太棹を弾く三味線、3人で一つの人形を遣う人形遣いの
三位一体の演芸ですが、歌舞伎や相撲とおなじく、男性だけで行われます。


文楽



文楽人形遣


地方には各地に土地土地の人形芝居があり、それを継承していらっしゃる方も多くいます。
こちらは、男女混成が多いようです。

人形浄瑠璃の人気作を歌舞伎の舞台で上演することも盛んに行われるようになります。
これを「義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)」といい、歌舞伎の義太夫節を竹本と呼びます。
この場合、地の部分を大夫が語り、詞(ことば)の部分を歌舞伎役者が語ります。
大夫や三味線は舞台の役者の動きに合わせて間合いをとります。


「女流義太夫」とは

女義太夫、または娘義太夫というのは女性による義太夫語りで、
江戸後期文化文政頃から行われ、明治以降大変な隆盛をみるようになります。
色っぽいなどと、書生や若者にアイドル的に大人気だったようです。

女義太夫
(娘義太夫)



現在は義太夫協会という一般社団法人化して、女流義太夫の公演(素浄瑠璃)などを行っています。
素浄瑠璃とは人形なし、大夫と三味線だけです。

女流義太夫


伽羅先代萩 政岡忠義の段

「伽羅先代萩 政岡忠義の段」

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天明五年(1785年)江戸結城座初演。仙台藩、伊達家のお家騒動を扱った作品として最も有名。
奥州城主義綱が吉原の遊女高尾に入れあげ国を顧みないため、隠居を命じられる。
代わりに跡目を継いだ幼い鶴喜代君はお家乗っ取りを企てる仁木弾正一味に命を狙われる。
鶴喜代の乳母政岡は用心のため、鶴喜代君病気と称し。人々の出入りを制限、
我が子千松をお毒味役にする。

敵の一味梶原景時の妻栄御前が、頼朝公からのお見舞いと称して毒入りの菓子を持ってあらわれる。
栄御前が鶴喜代君にその菓子を食べさせようとした所、
千松が走りでてその菓子を食べて、苦しみ始める。
悪事の露見を恐れる敵方の八汐はすぐさま千松を刺し殺す。
我が子を殺されても顔色一つ変えない政岡を見た栄御前は、
政岡が取り替え子(若君と千松を入れ替える)をしてお家を狙う一味なのだと勘違いして、
企みを打ち明けて帰って行く。

「なぶり殺しに千松が、苦しむ声の肝先へ、こたゆる辛さ無念さを、
 じっとこらゆる辛抱は、ただ若君が大事ぞと、涙一滴目に持たぬ、
 男勝りの政岡が、忠義は先代末代までまたあるまじき烈女の鑑、
 今にその名は芳しき」


栄御前の横柄な態度と、八汐の意地の悪い言動と、
政岡の色気のある忠義と、
この3人の女の演じ分けが楽しい場面です。


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最初と最後に床本を押し頂きます。

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