つもりちがい


自分だけで弾いていると、どんどん勝手な間で自分の都合のいいように、
自分が弾きやすいように弾いてしまう。
楽譜があっても、勝手な解釈をしてしまう。


長唄の場合、実際の演奏は一人ではなく三味線も何丁か、唄も何枚(何人)か、
そこにお囃子が加わり、踊りまで入るかもしれない。
そんな時、一人でも「つもりちがい」の人がいたら、
歌い手は息吸う所で息吸えず、踊り手は右左というところで、右右となってコケルかもしれない。

全員の心づもりがピタッとあったら気持ちがいいし、
演奏家はそれで「いい演奏でしたね」となる。




だから何であれ、一人で演奏するものでない限り、
心得違いの「つもりちがい」からは決していい演奏は生まれない。

つっころばしみたいな男 その2

「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)
これは近松門左衛門「冥途の飛脚」の下段を、のちに、
菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)の両名が改作したものです。

近松門左衛門の原作は冷徹で、愚かで哀れな結末。
それではあまりに厳しくつらすぎる、ということか、
現在は近松門左衛門「冥途の飛脚」は上巻、中巻が上演され、
下巻のかわりに、もっぱら、「傾城恋飛脚」あるいは「恋飛脚大和往来」という題名の
最終巻「新口村の段」が上演されるようです。



三味線の手も節も情緒豊かで、哀切でかっこいい。


でも、なんだか、忠兵衛が優男で頼りなくて・・。
まあ、そんな奴だから公金横領して逃げ出さなきゃならなくなったのでしょうが、

忠兵衛は自分の故郷に落ちて来たからいいようなものの、
梅川だって、京に残した両親が心残りだということに、言われるまで気が付かない。
自分の養子先の親や許嫁(いいなずけ)のお諏訪にも会って不埒の詫びをしたい、なんて言い出す。
この期に及んで、許嫁に会って詫びをする?

なんかズレた人だなあ。


「つっころばしみたいな男だから、しょうがない」
師匠はそう言って笑います。


「つっころばし」とは、wikiによれば、
歌舞伎、上方和事(江戸の荒事に対する上方芸)の立役(男性)のこと。
語源は「肩を突いただけで転びそうな」ということからで、優柔不断な若衆役。
商家の若旦那や若様という甲斐性無し。あわれを通り越して滑稽ですらある、と。


早い話しが、馬鹿な男なのです。

つっころばしみたいな男 その1

「傾城恋飛脚」は近松門左衛門の「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)を
のちに菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)が改作したものです。
「新口村の段」は主人公忠兵衛と遊女梅川が公金横領をして、
忠兵衛の故郷新口村へ逃れるという、物語全体の最終章です。

「冥途の飛脚」と「傾城恋飛脚」の二作の内容は大筋では同じです。
大阪の飛脚問屋亀屋の跡取り忠兵衛が新町の遊女梅川を身請けするために
堂島の大名の為替金三百両の封印を切って流用してしまい、
二人は忠兵衛の故郷大和の新口村へ逃げていく。
という情けないお話しです。



冥途の飛脚




近松門左衛門の「冥途の飛脚」では、実に端的に、
忠兵衛が追いつめられて大名の為替金に手を付ける、
公金横領のようなことをしてしまうという、
その様が描かれています。

忠兵衛は大和の新口村の大百姓から大阪の飛脚問屋(為替金を扱う)に養子に来た身、
都会の生活が水に合って仕事を覚えて商才を発揮し、町人必須の趣味教養も身に付け
着物の着こなしもセンス良く、廓にも平気で行けるような、
「いい感じ」の若者ですが、新町の遊女梅川に入れあげた。
歯止めが利かなくなっているところに、梅川の身請け話しが持ち上がった。
田舎者のじじいに請け出されてしまう前に、
と友人である丹波屋の主人八兵衛あての為替金五十両を使い込んで手付金にしてしまう。


八兵衛は諸々飲み込んで、まあ、表沙汰にはしないでやろうということにはなりますが、
忠兵衛はこのままでは危うさを心配し、女郎たちに為替金流用の件を話して、
忠兵衛を相手にしないでくれと頼み込む。

それを聞いていた短気な忠兵衛は、自分の「一分」、梅川の「面目」をつぶされた、と
懐に入れていた大名の為替金三百両を養子に来たときの持参金だと偽って、
その場で八兵衛に五十両を突っ返し、残金払って梅川を身請けしてしまう。


馬鹿ですね。


お女郎たちや八兵衛は、なあんだそうかそうかと帰っていくのですが、
事実を知らされた梅川は忠兵衛と大阪を落ちて行く決心をする、というわけです。

近松門左衛門の「冥途の飛脚」の下巻では、忠兵衛と梅川はみぞれ降る新口村まで落ち延びて、
忠兵衛の父孫右衛門から路銀をもらいますが、すぐに追手に捕まってしまいます。
捉えられた忠兵衛は親の嘆きを目にしては来世の極楽往生祈念のさまたげになるから
目隠しをしてくれ、と大声で叫びます。これは「めんない千鳥」として有名です。

愚かで哀れな結末です。




これはツラすぎるということなのか、
近松門左衛門の下巻の代わりに、現在演奏されるのは、
もっぱら、のちに改作された方の「傾城恋飛脚 新口村の段」です。


新口村の段



どこが違うか。
まず、舞台はみぞれまじりの寒村ではなく、白い雪につつまれた故郷。
ふたりは揃いのすそ模様の黒紋付きなど着込んで色っぽく粋な様子。
親爺殿の孫右衛門に出会うのですが、目隠しをされるのは忠兵衛ではなく、孫右衛門。
ここで親子の体面をしたら大阪の養親に会わせる顔がない、と言って、
息子に会う事を拒む孫右衛門に目隠しをしてあげましょうと梅川がいい、
ありがたいありがたい、と孫右衛門は感激して親子の体面をするのです。

孫右衛門から路銀をもらい、逃げ延びる道を教えてもらい、落ちて行く二人。
「長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」
という親子の情を前面に押し出した段切れ。



日本人はこういう方が、好きなんですね。



長くなりましたので、続きます。

Template Designed by DW99