一人反省会

世の中は警句に満ちているけれど、
それを自分に引き寄せて、身にしみて感じるには、

それなりの受け入れ態勢とタイミング、潮時、というのが大切なんだ。


義太夫演奏会の一人反省会。


物語を語る時、
その登場人物はどんな物を着ているのか、
ペラペラの薄物を着た三下なのか、
金襴緞子の分厚い重い打ち掛けの女房なのか、
それを表現できなければいけない。

語るには何より、息が大切。
息をしっかりしないと、全てが上滑りになり、
息が浅いと、人物が浅くなる。
息継ぎは、次の登場人物の息でしないと、人物が変われない。



ということを、ああそうか、と身にしみて思うのは、
実際に語ってこそ、だな。


義太夫は音曲を踏まえての語りだから、
語りは上手でも三味線に合わない音痴だと聞きづらい。
だけれども、しゃらしゃらと、調子良く音に合わせて流れてしまっても
面白くない。
何か、どこかで律しつつ振り切る、ということができるといいなあ。

後始末

何かからスッキリと心が離れるまでには、いくらかの時間が必要なのだと思う。

身のまわりを片付けると、あまりにも沢山の不要な物と共に暮らしていた、という事実に、
今更ながら驚く。
以前はまだ捨てる、とか、自分から切り離す、という気持ちになれなかった物が、
今はもう、いいや、と思えるようになっている。

捨てられなかった私から、一歩前進したのだろうか。


例えば、突然自分がこの世からいなくなったとして、
残された人が私の身辺を整理しようとしたとして、
私自身、恥ずかしいとか、不本意だと思うような物は早いところ捨てておきたい、

というようなことを、真剣に考える年齢になった。



私たち姉妹が嫁にでて、既にない実家の父母は永代供養で安心だけれど、
父が調べて残した父方母方の家系図や写真のたぐいはどうしよう・・。

私個人は消えてなくなりたい、とすら思うのに。

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