歓喜の歌

10年程前、誘われてオペラ合唱団に入って、オペラの舞台に2回、ガラコンサートに1回参加した。
誘って下さった主宰の声楽家の先生について、イタリア歌曲や日本歌曲を習った。

そこから不義理をして邦楽に走り、先生の元を離れて5年はたった。

オペラはソリストしか目につかないが、実はその他大勢の合唱団がいなければ成り立たない。
それでも、合唱なんて舞台でソロで歌うことはないからつまらない、と思った。
大勢で歌ったら、自分が歌えていなくても歌えているような気になってしまう。
自分の時間を演じるというスリルも半減する、と思って。


邦楽はそれまでの経験値から「斜め上にずれた」世界で、とても興味深く夢中になった。


洋楽にしろ邦楽にしろ、そういう「家」に生まれたわけではないから、
血の中に何かがあるわけじゃない。
天性の才能なんてのがあるわけでもない。
だから頭で理解して正解らしきものに近づく努力をするしかない。
おおかたの人間がそうなんだろうから、それは幼少のみぎりに始めた方が有利に決まっている。
それが人生半分過ぎてから始めるんだからなかなか思うようにはいかない。
歯がゆい。
でも、その過程が面白いんだから、まあ・・。



人様のブログでベートーベンの第九の演奏を見て、第九が歌いたくなってしまった。
歓喜の歌。

思い立ったが吉日、第九を歌う会に登録。
年末の舞台に立つ、つもり。
声楽の先生方に押し掛けて、発声を再開してしまった。
年末に邦楽のお楽しみ会でアヴェマリアを歌おう。


「全く、お久しぶりもいいとこよ!」
あきれる先生に
「でも、こうやって帰ってきたじゃありませんか。」
随分エラそうな弟子ではある。

さくら横ちょう  

昭和23年に編まれた「マチネ・ポエティック詩集」に加藤周一の
「さくら横ちょう」 という詩があります。
昭和26年に別宮貞雄が曲をつけました。
同じ詩には中田喜直も昭和25年に曲をつけ、37年に発表されました。
両方とも、今も美しい日本歌曲として歌われ人気があります。




   さくら横ちょう

 春の宵  さくらが咲くと
 花ばかり  さくら横ちょう
 想い出す  恋の昨日
 君はもうここにいないと

 ああ  いつも  花の女王
 ほほえんだ夢のふるさと
 春の宵  さくらが咲くと
 花ばかり  さくら横ちょう
 
 会い見るの時はなかろう
 「その後どう」「しばらくねぇ」と
 言ったってはじまらないと
 心得て花でも見よう
 春の宵  さくらが咲くと
 花ばかり  さくら横ちょう



                          (2012.4.11)

さくら横ちょう  二題

花見

曇りだったけれど、隅田川沿いを桜橋から浅草まで歩いた。
向島長命寺の桜もちを買って、言問団子とお茶で休憩し、
浅草のアンヂェラスでサバランとコーヒーに満足して帰る。
あれ?花見に行ったはずだけど・・。

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