子育ても過去になり

子どもがいるいないということは、
ものすごく大きい差だけれど、
それでいて、その人間の本質にはそれほどかかわりのないこと、
かもしれない。


お世話になった産院の助産師さんが、
「自分の子育ては楽しかった」と夢見るような顔で言った時、
子育て真っ最中で、毎日が戦争だった私は、
(なわけねーだろ!)と真剣に思った。
これからの子育てに不安を抱かせないように、無理して言っているんだと思った。

でも今振り返ってみると、子育ては、実に楽しかった。
子育ての喜怒哀楽全てを満喫したと思う。


ただ、私が生きている限り、こどもが生きている限り、終わりはないけれど、
あの時代は本当にあったのだろうか、夢ではなかったのか、と思ってしまう。
「毎日のお弁当作りが苦痛だと、思っているうちが花だよ」と、母に言われたのが、
ああ、こういうことかと、ようやく今わかる。


という、それほどに、子育てなんて、あっと言う間に過ぎ去って過去になる。



親の看取りもとうに終えた私は、今現在家族があってもなくても
一人だなあ、と強く感じる。


愛は増える

今年の四分の三が終わる。
誠に矢の如くに時が飛ぶ。

自分は同じ所に留まっているつもりでも、
きっと矢に貫かれて一緒に飛んでいるのだろう。

今年は年頭から途切れることもなくゲスな一年であった。
残りの三ヶ月でもさらなるゲスが暴露されるのだろうか。
歌舞伎役者にくっついて上京してお練りを見ていた芸妓はよっぽど不粋で、
そういうのは先斗町の中だけにしといたら、誰も何にも言わないものを。

そんな役者の尻拭いをして絶賛された女房というのもまた不粋だ。
あれは夫の襲名披露と松竹や御贔屓さんへの責任、
そして、襲名披露する息子たちへを思う強烈な親心であって、
息子の強姦を示談に持ち込んだ母親と同じ。

母はこの世の中で最強なんだと思う。


二男がお腹にいた時、上の子と同じようにお腹の子を愛せるだろうか、と真剣に悩んだ。
お腹の子を愛してしまったら、長男を愛せなくなってしまうのだろうか、
と身を裂かれる思いだった。

二男が生まれてみると、愛が増えていることに気がついて、大変驚いた。
子どもに対する愛は、あれかこれかという愛ではなく、
あれもこれも、という愛だった。

子どもからしたらお互いに母の愛を独り占めにしたいという葛藤があるのだろうが、
母から見れば愛は無限に増えるものだった。
こうして家族がつくられるのだと思った。

夫が妻以外の女に対して愛を感じたらそれは罪で、
妻が夫以外の男に対して愛を感じたらそれは罪で、
いや、そうなんだろうか。

昔のお大人(おたいじん)のように、女を囲ったら妻も妾も隔てなく
両方大切にすればよいが、それには男の度量と金が必要で、
今時のヤワな男には望むべくもない。

お金がなければ妻にも女にも体を張って、真心で対峙するしかないけれど、
それができないからゲス呼ばわりされるのだ。

貴賤を問わず、人の本質は変わらない。



母の愛と男女の愛と家族の愛は、相容れないのか?



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