夫婦って? 3

私たちは、一人一人が主人公の人生を生きている。
自分の人生の証言者は自分だから、
自分の都合のいいように脚色して記憶していることもあるだろう。
実態は一つだとしても、見る角度によって見え方も違う。
本当のことなど何もわからない。

歌の先生の夫と一緒に暮らす若い女(といってもアラフィフ)から、
逆に歌の先生夫婦を見たらどうなのか。

夫先生が指導する女声合唱団の演奏会に妻先生がゲストで出たことがあった。
いつにも増して妻先生は舞台前ナーバスになっていた。
声出しをしたいの、空き部屋はないかしら。
のどの調子がおかしいの、水はない?ドレスの具合はどう?
裏方で手伝っていた私もあたふたして舞台に送り出した。

合唱団の人によると、客席の一番前で足を組んで腕組みをして、ふんぞりかえって、
夫先生の女が聞いていたのだそうだ。
え〜そうだったんだ、顔見れば良かった。
その女がコンサートに現れたのはその一回だけだった。


歌の先生は、夫先生が家を出て行ったときは
「いずれ破綻して戻ってくるでしょうよ」と言っていた。
そのうち「犬を飼ったからもう帰らない」と言った。
「夫には財産があるから、女は放さないでしょう、女はずるい」と言った。
「夫が病気になっても怪我をしても、女がいて枕元に近づけない」と言った。

それでも、「自分と夫の間には若い頃二人で海外で苦労した強い絆があるから
それは誰にも邪魔されない」と言った。

そうだろうか。


女から見たら、
扱いにくいでっかい我がまま男を日々面倒みているのは自分だと思うだろう。
いつまでも離婚しないでごねているのは妻だと思うだろう。

妻との共同事業のオペラ制作のために散々目をつぶってきたのは自分だと思うだろう。
妻のコンサートに行く夫先生を止めないで送り出してやっているのは自分だと思うだろう。
財産のことばかり考えているのは、妻の方だと思うだろう。

妻はもう何もかも手にしたのに欲張りだ、ずるいと思うだろう。


女たちの思惑の真ん中で、男はいつも動かない。
一番ずるいのは誰?

先生のコンサート

私の歌の先生(アラ古稀)は還暦からご自身の歌のレッスンを再開して、
数年に一度コンサートを開いている。
若い頃からのご自身の体調の不安もあり、オペラ歌手の夫をサポートするためもあって、
指導やプロデュースなど裏方に徹してきて、還暦を越えて、満を持してのデビューだった。

毎回押さえる会場は小ホールとはいえ、450席ほどある。
それを一人の歌い手で埋めるというのはなかなか大変な事だ。
それが毎回満員御礼である。
高校の同窓会、受験時代の同門会、大学の同窓会、
ご自身の関わる合唱団がいくつか、夫の関わる合唱団がいくつか、
主宰するオペラに関わった多勢の人々、弟子等々々。

コンサートが終わる度に感想を聞かれる。
いつも感じる独特の雰囲気をどう言ったらいいのか・・。
会場全体が先生の親兄弟か指導者にでもなったような、このかんじ。

夫の不貞に極めて冷静に達観してみせ、
びっくりする程下町のおばちゃん的ガラッパチで、
根は真面目で頭脳明晰な先生は、実は小心でグチグチと悩んだりするのだ。
それをまた隠す事も無く皆に話す。

舞台に出てくる歩き方がかっこ悪いと言われて、どう歩いたらいいかわからなくなり、
歌っている時の手の動きが悪いと言われて、ピアノをつかんだまま離さなくなり、
ドレスも何を着たらいいか悩みまくり、上手く歌えるか心配で夜も眠れなくなる。

だから会場は、上手く歩けるか、手の表情はどうか、
歌は間違えずに歌えるか、高い声が滞り無くでるか、
手に汗握りながら、一体となってドキドキしているのだ。

変なコンサート。

そういう先生だから、歌のどこをどう歌おうか、
この声をだすためにはどうしようか、という計画がはっきり見えてしまう。


もっと無責任にコンサートを楽しみたいなあ、
不貞夫はいい加減だけれど、そのコンサートは何も考えずに楽しめたなあ、と思うのだ。


晩秋

14日は68年ぶりのスーパームーンだったとか、雨降ってました。
15日から16日に変わる頃、空を見上げたら、ビルの狭間に空高く月が輝いていました。
うーん、大きいのかどうか、よくわかりません。


「月が綺麗よー」と息子を呼んだら、
「月が綺麗ですね・・・なんて言う相手は僕にはいませんけどね、あっはっは」
と返されました。

「何それ?」
「えー、知らないのー?
 夏目漱石の学生が I love you を 我君を愛す、と訳したら、
 月が綺麗ですね、とでも訳しておいたらいいって言ったんだよ」

はあ、そうなんだ。ネットでよく話題にあがっているそうで、
漱石が実際にこう言ったという事実は、
小説にも残された文献にも出て来ないけれど、
講義などでそう語ったことは充分に考えられる、のだとか。
「I love you 」が「我君を愛す」では漱石の美学に合わないのだと。

なんかシチメンドクサイ男ですね。



久しぶりに表参道に行きました。
街路樹が紅葉して街ゆく人々もお洒落に華やいでいました。
そのお洒落さが、うーんお金かかってるなーという感じで、
日本て豊かなんだなあと思いました。
海外の方が旅行に来たがるのもわかります。
魅力あるもの。


シェフの故郷南仏の料理をこだわりの食材で仕上げたというお洒落なプレートが、
丁度表参道色だったので。


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夫婦って? 2

義太夫や長唄をやっていると、かつての日本の男女のあり方、夫婦のあり方に、
びっくりすることが多い。廓や妾は当たり前である。
そこでいかに恰好よく遊べるかに人間の品格が出る、と言われるくらいで、
生家から離れたところで暮らしていた男に女ができて、
生家から許嫁が来たら、もめるのではなく、許嫁を正妻にして、女を妾にして、
万事めでたしめでたしなのである。
現代の人間からしたら、「はあっ?」という結末でオッケーなのである。

「ああら、私の師匠も妾だったし、そのまた師匠も妾よ。
 それも2号さんどころか、3号さんだから。
 旦那が死んで、土地も財産ももらって、散々いい思いしたのよ。
 いい時代だったのね。」
義太夫の師匠はそう言って笑った。

夫婦って? 1

アラコキ(古稀)の歌の先生夫妻に、いつも夫婦の不思議を思った。

アラコキ(古稀)の歌の先生は、
60から本気になって自分の歌のレッスンを再開して演奏会を開くようになった。
「そんな中途半端なものを人に見せてどうするんだ、
がんばってるね、といわれたいのか」と夫に言われたそうだ。
40年も人に歌の指導をして、オペラ公演のプロデュースをして、
それでも何者でもない自分、それを打ち砕きたかったのか。
「やっぱり、人にほめられたいんだよ。」
それがようやく今わかったのだそうだ。

若い頃一緒にドイツとイタリアに留学して、
ずっとトレーナーのように付き添った歌い手の夫に対して、
先生は一切ほめるという事をしなかった、のだそうだ。
だから夫は出て行った、のだと今わかるそうだ。
かつて歌い手であった夫は20だか30だか年下の女と暮らしている。

妻先生は歌い手の夫のために、彼の舞台を確保するためにオペラ公演を主宰し、
オペラ合唱団を率いていた。

歌い手の夫先生は、歌う時、まず感情から入る。
流浪の民を歌う時、まず泣いてみせる、足を引きずってみせる。
そしてそう教える。ボロボロの人間を演じてから歌わせる。
妻先生はそれを具体的に歌にする為に、立ち方、発音、口の形、
息の吸い方、息の出し方を教える。
だから合唱団員には夫妻の私生活がどうであれ、夫妻が二人ながら必要だったのだ。

「だって、私、男は夫しか知らないし、彼が、好き」
なんて少女のようにいう妻先生に、団員はドギマギした。

夫先生はそれまでも散々女性関係で妻先生を泣かせていたけれど、
ついに家を出て新たな女と生活をはじめた。
と思ったら、捨てられた。
と思ったら、20も30も若い女と暮らし始めて、山の中に引っ越してしまった。
「僕は性欲が強いんだよ。放っておいたら電車の中で痴漢をしてしまう。
 そんな僕を受け入れてくれたのが彼女なんだよ。そんな彼女に何か残してあげたい。
 だからせめて養女にして籍に入れてあげたい。」
そんな仰天するようなことを言う。

「もう、帰ってこないでしょうよ。犬を飼い始めたし。」
妻先生はそう言った。
実質的に女と生活を共にする期間が長くなれば、妻側の権利がなくなる、
と妻先生は懸念したけれど、夫先生は離婚を求めるのはやめたらしい。
夫先生が怪我をしても病気をしても、
病院に見舞いに行く妻先生がベッドの足元から先に進めない位置に女が立つ。

夫妻の一人息子に子どもが生まれ、初孫を抱いた夫先生が
「犬の子より可愛いな」
とぼそりと言ったのだと。「当たり前だ、馬鹿!」と妻先生は笑っていた。

妻先生も合唱団の誰も彼も、夫妻の長年の絆は決して負けないと思っている。
もう、夫先生は帰ってこないだろうけれど、夫婦は夫婦だと思っている。
多分夫先生もそう思っている。
妻先生の演奏会には夫先生はなんだかんだ言っても、うれしそうに来るのだ。


何者?

ねえねえ聞いて、ねえねえ見て見て、というのは寂しいからか。
承認欲求ってやつかな。
孤独ってことか。
ここに私は裸で立っているわけじゃないし、
誰もが裏に色々な顔を持っていることはわかっている。
こちらに見せた顔とあちらに見せた顔とどう違うんだろう。

朝井リョウの「何者」という本。直木賞をとって映画化されたんだそうだ。
就活をする若者たちがお互いに牽制し合いながら、何者かになろうとする、そんな話し。
ツイッターでお互いの動向は丸わかりで、実はサブ垢もバレている、という。
SNSで心の中のつぶやきがだだ漏れになっている、という現実。

しかも、何者にもなれない、自分。
何者にもなれない自分をさらけだせない、自分。
それをSNSを見た他人から糾弾されてようやく認める、自分。

ハタチそこそこの若者の話しなのに、
年をとった身にも、同じ、痛さ。


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