日の移ろい

年の瀬もこう押し詰まると、何か今年をまとめなければいけないかのような
切迫した思いに捕らわれる。
けれど何のことはない、2、3日したら同じ口で「あけましておめでとう」と言うのだ。

頭の中で考える事は年末も年始もない。
だから大晦日も正月も、まったく季節感のない、
めでたくもない考えが頭を占拠しているのかもしれない。
お屠蘇気分にそぐわないことを考えていたらごめんなさい。

さて、昨日の「なぜだろう」にものすごーく遠慮がちに(笑)
遠慮の上にも遠慮を重ねて(笑)
「それはあなたが人間関係、特に男女の愛にすこぶる関心をもっているからだ」
「誰かを嫌いというのは、自分の中にその同じ嫌いな部分があるからで、
 よく言えば自分の内面に敏感だということだ」
と、指摘して下さる方がいて、笑ってしまった。
正解!その通り!
思わず、懺悔をしそうになった。

島尾敏雄の著作の題名に「日の移ろい」というのがあるけれど、
日々はまさに何の境目もなく移ろう。
そこに但し書きをつけて折り畳み、パタンと閉じて次へ進むのが
人の役目なのかもしれない。
私はそれが下手だけれど。


良いお年を。


妻への祈り 考

島尾敏雄 「死の棘」
梯久美子 「狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ」
について何回か記事にした。
ミホの著書「海辺の生と死」を読んだ。

そして最新刊、島尾敏雄作品集「妻への祈り」(梯久美子編)を読んだ。
Ⅰ 特攻隊長と島の娘
Ⅱ 夫婦という桎梏(しっこくー足かせ)
Ⅲ 狂うひと
Ⅳ 島へ
Ⅴ 妻を見つめる
この5編にまとめられた敏雄の作品集である。

敏雄自身が後から時間を掛けて書きあげた「死の棘」や、
梯久美子氏が客観的に公平な分析的な目で書き上げた「狂うひと」の2作品よりも、
この敏雄の作品集は読んでいて、こちらの心がザワザワして、苦しかった。


敏雄が隊長として、夫として、人間として、
様々な事態を受け止めて冷静に対処しようとしながら、
実は心の奥底でモヤモヤザワザワうろたえ、あわて、どうしようもなくダメな様が、
妙に細かい描写でせまってきて、気持ちが悪くなる。

妻に責められて逃れ、酔った勢いで抱いた女から梅毒をウツサレルのを恐れて、
うろたえる。
妻が鉄道に飛び込むのを間一髪防いでくれた男を家にあげて酒を飲む、
様子おかしく、自分に寄り添う妻にうろたえる。
精神病院に入院した妻の付き添いで共に病棟で暮らし、
入院患者が輪になって踊る極彩色にうろたえる。
共に移住した島で自分が鬱になる。

お互いに、死なないで、死なないで、と大声で言い合っているような、
気持ちの悪い夫婦だ。

本当に胸が悪くなる。
なのに目が離せない。

なぜだろう。

私は敏雄もミホも嫌いだ。
文学的に価値があるとしても、人間の心の深淵を鋭くえぐる作品だとしても、
もうたくさんだ、と思う。

なのに読んでしまう。
なぜだろう。

本懐を遂げる。

東京三宅坂にある国立劇場は開場50周年を迎え、
記念公演として、歌舞伎、文楽ともに義太夫狂言の大作
「仮名手本忠臣蔵」を通しで上演している。
丸々全11段を見ると文楽では10時間、
歌舞伎は10月、11月、12月の3ヶ月もかかるのだけれど、
めったにない(それこそ、50年に一度)という幸せだと思って、じっくり鑑賞している。

「時は元禄15年12月の14日」元赤穂藩の浪人たちが吉良上野介を討った仇討ち事件
が題材となった「忠臣蔵」は、初演から260年も経ているにもかかわらず、
日本人の心に強く訴えるものがあるのだろう、未だに人気の演目である。

登場人物や時代背景は史実とは変え、より劇的に創られてはいるが、
殿中の刃傷に至る経緯や背景、その後の仇討ちに至る経緯と背景、
そこに関わる人々の幾筋にも別れた物語が、
幾重にも巧妙に張られた伏線を回収しながら語られていく様は実に見事である。


重層的に語られる物語のそれぞれが、こうだからああなった、
これが原因で結果こうなった、こうしようとしたがそうはならなかった、
それはこういうことがあったからだ、と明確に提示されている。

因果応報と言ってしまえば言えるのだろうか。
事実関係や事の成り行き、人々の心の内が、
無理無くすんなりと、見ている者の心に響き、
腑に落ちる。

それが260年変わらぬ人気の理由なのではないかと思う。


私たちの現実の日常には、どうにも説明のつきかねる心のモヤモヤがついてまわる。
原因と結果が目に見えるように一直線につながることはまれで、
ああだったのに、何故こうなってしまったのかわからない、
こうでなかったらよかったのに、もうどうにもできない、
どこで間違ったのかやり直したくても、道筋も手だてもない、
悔しくてたまらないが復讐はできない、
そんなことばかりだ。

本懐を遂げる、そしてそれが正義である、などという、そんなスッキリすることなど、
現実の人生にはめったにないのだ。


大序から始まって、全11段を地道に義太夫で稽古していったら10年かかるだろうか。
「わたしゃ、先に死んでしまうわ」師匠はホントにそう言った。


狂うひと 考 その4

「書く」とは、どういうことなのだろうか。

戯曲、エンターテインメント小説、映画、漫画などは、
戯作者や著者が読み手の興味をひくように趣向を凝らして面白いお話しを作る。
人々は泣いたり笑ったり、腹をたてたり、共感したり,反発したりして、
物語の中で、現実とは違う時空を生きる。
アトラクションや3D映画のように疑似体験の興奮や面白さがある。

作家というのはそうやって「嘘話し」を作り出す人種だと思っていたが、
島尾敏雄のような人間はその対極にいる。
彼は物語の筋を作ることには興味がなく、
ひたすら自分と自分の回りの日常を観察して記録し、
それを題材に「小説」を書いたのだという。

「自分」を書きたいからそうしていたのか、
生きる事で生じる「自分の心」を書きたかったからそうしていたのか、
よくわからない。

敏雄は妻が見てもいい日記とは別に、誰にも見せない秘密の日記を隠し持っていた。
「人には見せない真実の自分」を書きたかったのか。
逆にその部分は書きたくなかったのか。

隠し日記やメモは「資料」という意識があったのだという。
資料を元に書かれた作品はどうしたって作者の都合で脚色がなされる。
それは「真実の自分」と言えるのか。

作品の中の脚色された自分は都合良く演技をしてくれるけれど、
真実の自分は、そう都合良く演技などできないだろう。

それを梯久美子氏のような執念深い研究者によって、
心の襞まであばかれて、ちょっとお気の毒、とは思う。

衆人環視の中で丸裸になる勇気がない場合は、
日記は処分し、PCの過去の資料は抹消し、
秘密は墓場まで持っていくのが無難かもしれない。


他人の真実の姿なんて、誰にもわからない。
あるいは、それを見せて共感が得られるとは限らない。

だからと言ってそれを隠していたら、人間の真理には決して到らない。

日常さえ楽しければ、そんなシチメンドクサイ真理なんかいらない、
と思う人の方が多いのかもしれない。


「狂うひと」は島尾ミホの評伝である。
梯久美子氏はミホのことを書きたくて奔走したのだった。
私はどうにもミホに思い入れることができなくて、もう、それこそうんざりだ。
敏雄の写真を見ると、ああ、モテただろうな、と思う。
その少し弱気な顔に、生きる苦渋と馬鹿がつくほどの真剣さと、
人としての可愛らしさを感じてしまうのだ。


狂うひと 考 その3

梯久美子氏が始めて島尾ミホにインタビューをしてから
評伝「狂うひと『死の棘』の妻・島尾ミホ」を書きあげるまでに、11年を要した。

島尾ミホの遺品として残された夫妻の日記、手紙、草稿、ノート、メモなどは
段ボール1000箱に及んだ。
島尾敏雄の実家の墓のある福島県南相馬市小高区、ミホの実家のあった加計呂麻島、
精神科を出てから移り住んだ奄美大島、などへの取材旅行。夫妻を知る人々への取材。
ミホに「あいつ」と呼ばれた女性の娘まで取材している。

自然豊かな奄美大島に移住後、ミホは求められるまま加計呂麻島の事、
特攻隊長であった島尾氏のことなどを書いて、自身も作家として認められるようになる。

「オヤジは(ミホが作家になることを)嫌がっていましたよ。
 母は集中力があるものだから、10日くらいでまとまったものを書いてしまう。
 父は一日で一行書いたとか、二行書いたとかやっているんだから、そりゃ嫌でしょう。」

「オヤジは馬鹿真剣な人でね、たき火の火を消すのでも、コップ一杯ずつ水を持っていく。
 鶏の餌をやるのだって、コップ一杯ずつやるんですよ、20羽からいるのに。」



島尾敏雄の小説「死の棘」の中で、
書名「死の棘」についてははっきりと触れていない。

「新約聖書コリント前書第15章56「死の棘は罪なり」の記述。
 土に属する者は朽ちる者だが、それは死んで生き、天に属する者となる。」
これは「死に至る棘(つまり人間の原罪は、イエスを信じるならば)
イエスが償ってくれることによって私たちは許される」ということだ。



これについて文庫版「死の棘」の解説を書いた文芸評論家の山本健吉氏は、
「一見暗く、きびしく、すさまじい世界は、反対に明るく、回癒と甦りへの感謝と、
 愛と勝利への讃歌に充ちている・・・・それがこの小説に『死の棘』と題した意味だろう。」
「かつてトシオの行為に激しく憤り、嫉妬し、
 はては狂乱にまで到ったミホへの、鎮魂の歌でもあった。
 そのことを成就するために、トシオはおのれの姿勢を、この上なく低い所に置いた。」
とした。

この解釈によって、ミホは聖女に祭り上げられた。
解説者に山本氏を指名したのは敏雄であった。敏雄はミホの言いなりであったから、
ミホ自身がこういう解釈を望んだということだ。


多くの資料と伸三氏のナマの声でそれを見事にくつがえしたのは、梯氏で、
まことに痛快だと思う。


まさに、「うそつけ」と。


敏雄氏がどういう意図をもって「死の棘」と題したのかは、やはりよくわからない。
浮気は罪で妻による果てしない尋問に贖罪の日々を送ったのは事実であったとしても、
ミホが敏雄氏を永遠に所有し支配したとしても、これが夫婦の愛情物語の変種だとしても、
男も女も、なんとも罪作りなことであるなあ、と思うのだ。


島尾氏の一族の墓のある南相馬市に分骨に訪れた伸三氏と、
集まった田舎の親戚は一晩黙ってただ座っていた。
親戚の一人が一言、訛りのきついズーズー弁で「せつねーな」
(切ないな)と言ったのだそうだ。


狂うひと 考 その2

島尾敏雄の長男島尾伸三氏は、あの世で両親に会ったら、
ぶん殴ってやりたいのだという。

父親には、モルモットとして文学の犠牲にされたという恨みがあるのだろう。
また母親に対しては心底うんざりしている、という顔に見えた。

ミホが、夫の過去から現在に至る全ての不貞をあばきたてる共狂いの最中には
子どもたちの生活は全く顧みられなかった。
ミホの「死ぬ,死ぬ」と騒ぎ狂う様に恐れおののいて、
敏雄はミホ第一の愛情深い夫に変身したけれど、
それからはミホの影響力に家族全員が振り回された。

伸三氏の妹マヤは言語障害でもないのに言葉を発することができなくなり、
52才でがんで亡くなっている。
言葉を失った娘を、ミホがあっちの大学病院こっちの大学病院と
大騒ぎして連れ回すたびに悪くなっていった、と伸三氏は言う。
ミホは敏雄氏の死に際しても、
頭を開けて悪いものを出してくれと、病院に無理難題をつきつけ、
亡くなった遺骸は、頭蓋骨が頭頂からぐるっとはずされて、
それを包帯でぐるぐる巻きにされ、血が止まらない状態だったのだそうだ。
焼き場の裏手で焼かれて飛び跳ねる夫を見たり、骨を親子でバリバリ食ったり、
どの逸話も「普通」ではない。

敏雄氏が亡くなって20数年、ミホは人前では喪服で通し、
毎年8月13日には、かつて島尾部隊の出撃を見届けて自決しようとした海岸に座って
一夜を明かしたのだという。
(敏雄とミホは、奄美の加計呂麻島に赴任した特攻隊隊長と島の有力者の娘として出会っている)
エキセントリックを通り越したら気がふれる、ということなのか。


敏雄氏は自分の日記に妻や家族の言動を仔細に観察して書き記し、
それを元に小説を書いていたのだけれど、
敏雄氏の死後、「死の棘」の頃の日記を刊行したミホは、
日記の記述から自分がかつて発した言葉の中から、自分に都合の悪い箇所を、
(巧妙に)削除している。
実際はあんな夫婦ではなかったのだと、あれは夫の創作であったのだと、
本当は夫婦の愛情物語であったのだと主張する。

息子から見れば、幾重にも腹立たしい母であろう。
(そうはいうものの、ご両親を自慢に思う様子がかいま見られて、
 それは複雑な気持ちであろう、と思われた。)

「それでよく、ご夫妻の膨大な遺品を整理したり後始末をしたりなさいますね。」
という梯氏の言葉に、
「自分の手元に文化財を託されて、それを放り出すわけにはいかないでしょう。
 そういうことです。」
と伸三氏はいう。

梯氏は「書く」ということで夫婦の秘密をあばくことと、
また、ミホの「実際の影響力」とに恐れを感じて、
ミホの親戚の司祭にミサをしてもらったのだという。
(ミホの親戚は明治期に島にキリスト教が伝来して以来の信者で、
 ミホも幼児洗礼を受けている)
「これで(ミホの影響力の)何かがあるとしても、それは全部私に来るから、
 安心して書いて下さい。」
と伸三氏に言われて、梯氏は評伝を書き上げる事ができたのだそうだ。

「ミホの実際の影響力」に詳しい解説はなかったが、お二人の意味有りげな目配せには、
この世ならぬものへの恐れを感じた。


そんなホラーまがいの逸話はともかく、
女の怨念、情念は焼いても焼いても焼き尽くせないものなのだ。
ヤワな男を蹴散らかす威力があるのだ。
(敏雄の文学がヤワだとは思わない。ただ敏雄はヤワだと思う。)

人の心の中に巣くう「切り捨てることのできないもの」には
心底うんざりだけれど、それはどうしようもないことなのだ。


狂うひと 考 その1

梯久美子 「狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ」

島尾夫妻それぞれの膨大な資料による、島尾敏雄の妻、ミホの評伝である。

著者、梯久美子氏と島尾敏雄、ミホ夫妻の長男、島尾伸三氏の
新潮社主催、トークイベントに行ってきた。驚く程の盛況であった。
伸三氏は梯氏がミホの評伝を書きたいと申し出た時に、「きれいごとにはしないで下さい」
と後押しをしたのだそうだ。



敏雄は生涯日記を書き続け、その日記の事実を基に小説を書いた。
妻、家族、女、周りの全てを観察し、書き留めた。

「死の棘」では日記を読んで夫の不貞を知った妻が逆上し、
3日3晩寝ないで夫に問い詰め責め続け、以来妻が狂った、ということになっている。

敏雄は小説家としての己の資質について悩んでいたようで、
わざとミホの狂気を煽るように日記を書いた、とも考えられる。
敏雄の日記を妻が読むのは日常であったし、女の気をひくために、
書いたものを人の目に届くところにさらすのは敏雄の常套手段だったようだ。

新婚の地神戸では敏雄はある同人誌内の女性と深い仲になり、
のちにその女性は自殺している。

東京の文壇で書きたいという敏雄の希望で、一家4人で上京してから、
ある同人誌の女性と付き合うようになり、それが発覚して「死の棘」に至るのだ。
「死の棘」の中で「あいつ」と呼ばれた女もまた寂しい最後だったという。

敏雄にとって、ミホの狂いは恰好の小説の題材となったことだろう。

ミホは日記を読んで咆哮してから大反撃に出て、大逆転をしてしまう。
以来敏雄は全てミホの言いなりになり、ミホの為の償いの日々を送る。
「生活の全てをミホに捧げる愛情深い夫」になるのだ。

69才で亡くなった敏雄の最後の言葉は「ミホ、もういやだよ」だったという。



伸三氏は「文学のために自分はモルモットにされた」と辛辣である。
「死の棘」は読んでいないのだという。
読めば、父が自分の都合のいいようにかっこつけて書いていることがわかるからだと。
「うそつけ」と思うのだと。

梯氏は評伝を書くにあたって、夫婦の軌跡をあばくことによって
「人を冷徹に観察して作品に仕上げる」という夫婦がしてきたことと同じことを、
自分もまたしてしまうのではないか、と、
そこを悩み、それがすごく怖かったのだという。



書いて、記録に残す、ということはなんという罪作りな「人の業」だろうか。


死なずば生きず

島尾敏雄「死の棘」

家の外に女をつくり10年間妻を欺いてきた男が、
その事実を知った妻から、責め立てられる→キチガイのフリをする→妻が狂う
→仲直りする→責め立てられる→キチガイのフリをする→妻が狂う、
という無限ループに陥る。
果ては、夫婦で精神病院に入る、という事実に基づいた小説。


私たちは普通、生きていることの真実の汚さを全て引き受けることはできない。

だから、そこを軽く乗り越えていく存在には畏敬の念を抱く。
自分を地べたにある存在に貶めて、妻を巫女の域に持ち上げる。

自分はキチガイのフリをすることしかできない、
あるいはキチガイのフリをすることで、妻の狂いを誘発していく。
妻のナチュラルな狂いに怖れと憧れと、尊敬の念を抱く。

不実な夫への絶え間ない憤り、嫉妬、狂乱、
しかしそこには、妻の巧みな自己演出が匂う。探偵を雇う、女の名を語って夫を欺く。
妻は、自分が観察され書かれる存在であるということを理解していたのか。


お互いを傷つけあうことが、究極のイチャイチャになっていく、かのような。

作者の意図もそれを受けて立つ妻の気持ちも常人の理解を越えている。


自分と自分の妻を究極に貶めて小説にしようなどとは、常人には考えられない。


私小説の極北。


付記
題名の「死の棘」について
 「新約聖書コリント前書第15章56「死の棘は罪なり」の記述。
 土に属する者は朽ちる者だが、それは死んで生き、天に属する者となる。」


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