長唄のライブ

那胡の会2 那胡の会6

簡易ではございますが、どうぞ。         可愛いお運びさんです。



那胡の会4

演奏は江戸前でございます。

 長唄「黎明」
 
 むらさきに 紅ぼかす東雲の 空さきがけて
 八紘に高く射放つ あまつゆみ
 その金色の征矢にこそ 恵み尊きかづけもの
 永遠の望みをもたらして 夜の間の闇に沈みけん
 もののあいろもほがらかに 有情無情の別ちなく 
 若き命に よみがえる その喜びの声々は 
 天と地とに 満ち満ちて 
 風にも通へ颯颯と 水にも通へ滔々と
 合わせ奏づる 曙の歌
 



那胡の会5

ハオーーッ!! 笛と太鼓「獅子」


宇宙の秩序の中で

クレマチス

読売新聞6月14日付夕刊によると、
アインシュタインが「神」について語った手紙が新たに見つかったのだという。
ブラジル・サンパウロに居住していた物理学者ボーム氏に宛てた
1954年の手紙で、アインシュタインは、
「もし神が世界を創造したのだとしたら、彼の一番の気遣いは、
 われわれにとって世界を簡単に理解できるものにしないことだったに違いない。
 50年来それを強く感じている」
と書かれているそうだ。


神様は我々に「宇宙」というそう簡単には解けないような難問をお与えになった。
有り余る時間とともに。
まるでゲームのように。

我々は混沌の中に放り出された宇宙の孤児のように見えるけれど、
果敢にも、その宇宙の秩序を読み解いて、着実に正解に近づいている。

近づけば近づくほど、その正解らしきものが逃げてゆくけれど。

でも、世の中は全くの無秩序、混沌の中にあるのではなく、
実は美しい秩序の中にあるのだ、
ということを知ることは、なんて気持ちがいいんだろう。


庭



音楽も同じ宇宙の秩序によって記譜することができ、
それを読めさえすれば、世界のどこにいても同じ音楽を奏でることができる。
それは長唄や義太夫の邦楽であっても同じことで、
先人が苦労して、無秩序に見えるものの中に秩序をみつけてくれたおかげで、
私たちはそれを読み解いて、皆で演奏することができる。

それを駆使すれば新たな楽曲を創造することもできる。

そういうのは、ちょっとすごいなあ、と思うのだ。

雑記

夢の中で、今はもうなくなった実家に行った。
家の前にあった狭い庭が畑になっていて、母がそこで笑っていた。

これは夢なんだとわかっていて、声をあげて自分が泣き出して、びっくりした。
すぐに起き上がって、座って考えても、
自分に何が起こって泣き出したのか、とっさにわからなかった。

「母が笑っている」ということで、胃の辺りがキュウッとする。
長く患って逝った母に、自分としてはできる限りやった、とは思うけれど、
母の最期が幸せであったのかはわからない。

長く同居を望んでいた最愛の娘である姉と、
ようやく同居生活が始まった、と思ったら、
姉がガンになって、あっという間に亡くなってしまった。
母は一人病院に生活するようになって、
やがて父が認知症になって同じ病棟に入った。
母の頭は最期までしっかりしていたけれど、父との意志の疎通はできたのだろうか。

力尽きるように、静かに母は逝ってしまった。


私も妹も、遠隔地でしかも子育て真っ最中で、身動きならない事も多く、
母を放り出したとは思わないけれど、最優先にしたわけでもない。
どうしようもなかった、とは思うけれど、
今、こんな風に自分が夢の中で泣く、とは思わなかった。



小学校時代の友だちが集まって、話題になったのは、
子どものこと、嫁さんへの配慮、以外に、親のこと、墓のこと、等々。
そういう年代なんだ、ということだ。


義理の兄が離婚と死別とで2回妻をなくし、
現在独り身で、身の回りの世話をする女性がいて、親戚は意見のしようもなく、
困っている。
「後妻業の女」と言っては失礼かもしれないけれど、
「どこから湧いてきたのかもわからない女」に「家」が乗っ取られるのではないか、
と親戚は危惧する。

「義理兄(にい)さん、一人は淋しいものね。」とは思いつつ、心穏やかにはいられない。


産めば海路の日和有り

嫁に対して「子ども産むなら早い方がいいよ」とは言えないのは、遠慮からだけではなく、
当然お嫁ちゃんの事情への思いやりや配慮からです。

人にはそれぞれ考え方や事情や生理的都合があるので、
それらを無視して意見することなどできないからです。

が、しかし、それでもなお、もっと素直に本当のことが気楽に口に出せたら、
「早く言ってくれたらよかったのに〜」ということはなくなるだろうと思います。

というのも、欲しいと思う頃には、年齢的に生理的に、
生物学的な産み時を逸していることが多いからです。


現代では40を過ぎても50を過ぎても、
あの手この手で妊娠出産をすることが可能な世の中になりました。
自分自身の卵子が老化して使い物にならなければ、
若い女性から卵子の提供を受ければいいし、
配偶者の精子が使い物にならなければ、精子バンクから提供を受ければいいのです。
受精卵を戻すべき自分の子宮に問題があれば、借り腹をすればいいわけだし・・・。

もう、いっその事、養子縁組じゃだめですか?


若くして望まぬ妊娠をしたけれど、出産して育てることが不可能な女性の子どもを、
豊かな資産はあっても子どものいない夫婦が育てることは可能です。


子どもが欲しい、育てたい、という希望があれば、なんとかなる世の中になりました。



それでもなお、自分と自分の配偶者の間の子どもを自分自身が産み育てたい、
という希望を持つのはものすごく自然な気持ちで、
それなら、絶対、早い方がいいのです。



友人に「私、もう45だよ。」そう言って、泣かれても、なんだかなあ。
「どうしようか、何回受精卵を子宮にもどしてもできないし、
 もうやめようかと思うけれど、まだ、二つ凍結受精卵があるし、
 もう少し頑張ってみる。」
自分でそう結論を出すのなら、やめろという権限は私にないし、
その時点で配偶者は60をとっくに過ぎ。
それでも有り余る資産があるからいいんだろうけれど、
どうなの?それって。

夫には前妻との間に妻に近い年齢の娘もいるわけだし、もういいじゃん、
と思うけれど、
妻にしてみれば、「私と夫との子が欲しいっ!」て思うわけだし、
子どもを持つ事が彼女の生き様として切実な願いなわけで。


どんなに文明が進化しても妊娠出産はものすごく原始的なことをくりかえしているわけで、
それが現実なのですよ。


だから、四の五の言わずに、さっさと産んだ方がいい、と思うわけ。
産めば、海路の日和有り。
今大変でも助けてくれる人もでてくるし、力になってくれる人もいる。
なんとかなるからさ。


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