今年も「第九」2

「第九」は当然ドイツ語で歌う。
歌う私たちは平たい顔族の生粋の東洋人の集団で、
しかもおじさんおばさん率の高い集団である。
からして、聴いて下さる聴衆の皆様には、一体何が伝わるのだろう?

メロディーや和声、歌う集団の生み出す熱量や波動は多分
充分に伝わるだろうけれど、
言葉のもつ意味やメッセージは本当に正しく伝わるのだろうか?



長唄や義太夫を聴きにきて下さる方々も、
よし!聴いたろう!と勢い込んで来て下さる方々も多いだろうに、
大概はその音の波の心地良さと、念仏のような言葉の意味の分からなさに、
いつの間にやら心地良い眠りに誘われて、それっきり、ということになろうか・・・と。

人はその生活で使用する言語によって思考し行動する。
思考の根幹となる「言語」は物凄く大切で、
もはや人はそれなしには生きていけない。


意味を把握して、それっぽくドイツ語を発音しよう、という努力はしているつもりだけれど、
歌の音形に気を取られたら、発音なんてかまっていられなくなる。
大阪弁を基本とする義太夫は関東の人間には、はなから無理なんだけれど、
なんとか真似して・・多分へんてこりんだろう。
邦訳詩で「第九」を歌ったり、
関東弁で義太夫を語ったり、
できることはあるけれど、それではどうも「それっぽく」ない。


スキャットやインストゥルメンタルでは伝わらない何かが
「言語」にはあるのだよねえ。

どうしたもんか、といつも思う。

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