素浄瑠璃の会

池上にある實相寺というお寺さんで素浄瑠璃の会があった。

實相寺

語りのための見台がうーんと端っこにある。その隣に三味線弾きが座る。
今回は途中から、その隣にツレ三味線が座り、その隣に琴の弾き手が座る。
だから前半はずーっと端っこで二人が演奏しているのだ。


實相寺 絵1

後ろの絵の拡大。



演目は「本朝廿四孝  十種香より奥庭狐火の段」
浄瑠璃は豊竹芳穂太夫、三味線は鶴澤清丈


上杉謙信の娘 八重垣姫(やえがきひめ)は父の敵方武田勝頼に恋いこがれ、
父の追手から勝頼を助ける為に、
兜に宿る狐の神通力で、凍結した諏訪湖を一直線に駆け抜ける、
というお話し。


歌舞伎や文楽のお姫様の役を赤地の衣装をつけることから「赤姫」というが、
その中でも三つの代表的な大役を〈三姫〉という。
「廿四孝」の八重垣姫
「金閣寺」の雪姫
「鎌倉三代記」の時姫
数多いお姫様の役の中でも至難な役、なんだとか。


八重垣姫は、敵をあざむくために花作りに身をやつした勝頼に、
あなたは本当は勝頼様に違いないと言って、無理やり取りすがる。
なんかすごく積極的だ。

私が今お稽古している「鎌倉三代記」の時姫は、
敵方の若武者の母親のもとに勝手に押し掛け看病をしている。
母親を心配して戦場から戻って来た若武者に
どうせ母親はもうすぐ死んでしまうのだから、
今すぐ夫婦になりましょうと、取りすがるのだ。


なんというか、歌舞伎や文楽のお話しの中では、
運命に翻弄されるがままの男に対して、
決然と自分の恋路にばく進する女が多くて、
面白い。

實相寺 絵


それは決してむくわれはしないのだけれど、
人の持つあからさまな本来の姿だからこそ、
何百年も語り継がれてきたのだろうな、
と思う。


これから

私と同い年の男性が、「あと20年かなあ」と言う。
身体が丈夫で、何事もなければ、
あと20年は楽しんで生きられるんじゃないか、と言う。

あと、20年か。

短い。


おぎゃあと生まれて、ハタチまでだ。

しかもその赤ちゃんからハタチまでの20年間に
目を輝かせて経験して吸収する沢山の未知のことに比べたら、

私たちがこれから経験できることはほんのちょっぴりだ。

赤ちゃんのほっぺたがちょっとの傷なんかあっという間にスウッと治ってしまったり、
ちょっとすっころんだって、猫より柔軟だったり、
一日一日目に見えてできることが増えていったり、

そういうことの逆のことを、これから経験していく、
牛の歩みになり、できないことが増えていく、
という20年、

ちょっときついなあ、悲しいなあ、と正直思ってしまう。


鳥居


この道はどこへ通じているんだろう?



明晰夢

夢を見ながらそれが夢であると自覚できる夢を、
初めて見た、と息子が言った。

明晰夢(めいせきむ)というそうだ。
夢を見ながら自分でコントロールできるらしいよ、と。


私はほぼ毎晩そういう夢を見る。



カナルカフェ2



ネットには、どうしたらみられるのか、とか、
いい影響悪い影響などについて書いてあるが、
「浅い眠りの時に見る夢」というのが単純な正解だと思う。


私は夢の中でそれが夢だと自覚があるし、自分でストーリーをいじったり、
ストーリーを行きつ戻りつしたり、
一度起きて、続きが見たければ、もう一度同じ夢に戻ったりする。

だからよっぽど眠りが浅く、身体にはよくないと思う。



ある作家は、ある日夢を見ながらこれは小説のプロットになる!と確信して、
急いで起きて頭の中から消えて行くストーリーを必死でメモに書き写し、
それをもとに書いた小説が新人賞をとった、のだそうだ。
ただ、そんな経験はその一回だけだそうだ。

私の見る夢はいつもの日常のすぐ隣のちょっと変な日常のひとこまで、
小説になるようなものでもない。
目覚めてメモしてみたこともあるけれど、後から見てもメモの意味もわからないし、
無理に思い返そうとすると楽しくないからそういうのはやめた。
無理をしなくても印象に残っていることはしばらく頭の中で楽しく反芻する。


ちょっとそれは楽しい。


ヒーリング

私は根が天の邪鬼にできているせいか、 
いわゆるナチュラリストというのか、自然派の、
身体にも心にもいいものを追い求めてます的な、
良くできた女が大嫌いだ。

相手のためにいい言葉をかけましょう、とか、
日のひかりの中で幸せを感じましょう、とか言われたら、
大きなお世話だと思うし、嫌みか?と勘ぐる。


だから、
 
「 どんな時も自分のカラダだけは自分に寄り添っていてくれる。

  口から出る言葉は自分に返ってくる、悪い言葉も自分に返って自分を傷つける、
  だから口から出す言葉には気をつけよう。 」

などというヨガのインストラクターの言葉は、
私が素の状態だったらすんなり入ってこなかっただろう。

声を出している時、インストラクターが私に近づく気配がして、
何事かを高めの声で投げかけたけれど、私はそれがイヤで、
低めの声で抵抗していた。
何かこう、そういうアプローチがイヤで、
勝手に悟りたいクチなんでしょうね、私。


90分間声を出している間、インストラクターが鳴らしていたシンギングボウル
(singing bowl)の倍音にヒーリング効果があったのかもしれない。

シンギングボウル
(singing bowl)

↓をクリックするとYouTubeに飛びます。
シンギングボウルの音
(この録音は一人の瞑想にいいと思う。ヴォイスヒーリングヨガのクラスは多人数で皆大きな声を出していたから、シンギングボウルの音ももっとガンガン大きかった)

仏様のおりんとかお寺の鐘とか、お坊さんがお経を読む時の鐘、
まさに声明やゴスペルの効果と同じだろう。


うっかりそれにやられてしまったわけで・・
心地良く真人間になれるなら、良しとします。





カラスウリの花

カラスウリの花。この花が開花するとびっくりしますよ、
といたずらっぽくお土産にくれる感覚って可愛いなあ、と思う。



声を出すということ

「音大に入って感動したことは、合唱のハーモニーが
 今まで経験したことがない程に神であったことだ」
という逸話を、何人かに聞いた。
「ただのハッピー・バースデーがハモっていて感激した」というのもある。


朝顔



私が参加している素人合唱団ではそういう経験はできない。
むしろ他人の音の外れ方が気になってしまう。
本番では自分の力を出し切るだけで、
「神のような合唱」にひたることはない。


オーケストラでも長唄でも、
聞いて感動するものは、中で演奏していても魂が震えるのであろう。


鉄線



素人がそういう経験ができるとしたら、
没我の状態でで声を出すなり、音を出すなりできる状況だろうか。


そんな疑似体験だったのが、ヨガの特別クラス「ヴォイスヒーリングヨガ」だったのかも。

ヨガは健康の為にやっているけれど、あまりスピリチュアル系や瞑想系のクラスは、
変に影響されるのが嫌でとらないようにしている。
けれど、日頃声をだすことばかりしているのだから、
もっと自由に声を出せるようになれば、と思って参加した。

多人数で90分、全身から汗も涙も鼻水も流れる程自由に声をだしてみると、
ああ、これは声明とか、ゴスペルとか、そういうたぐいのものなんだと納得した。


多人数だからこそできる音のうねりや呼吸の間や体温や波動、
それらを自分が出すと同時に全身で浴びている。
それらが肉体に影響を及ぼすのは当たり前だな、
と思った。


意味のないただの声が持つ自由さ、
音程や音階がないからこそ自由に発することができ、
ふんだんに浴びることができたのかもしれない。


蓮



満ちあふれて降りそそぐ声の中にいると、

 どんな時も自分のカラダだけは自分に寄り添っていてくれる。

 口から出る言葉は自分に返ってくる、悪い言葉も自分に返って自分を傷つける、
 だから口から出す言葉には気をつけよう。

そう言うインストラクターの言葉が、ああ、そうだな、と素直に聞けた。





品格

5月から頑張った長唄「勧進帳」が終わった。
一人で三味線も唄も完成。完璧とは程遠いけれど、とりあえず満足。
舞台一面総勢100人超で演奏すると鳥肌がたつほど感動する、超名曲!!



さて、秋に向けて次の曲は「喜三の庭」(君の庭)
安政6年、岡安喜三郎という人の弟子の新居の新築祝いに作られた曲。
一曲の中に三つの秋の情景が描かれる。

まず一つ目は、平家物語の「小督」(こごう)を題材にした秋。
高倉天皇の寵愛を受けた「小督」(こごう、と読む、女性の名前)は、
天皇の后の父平清盛に遠慮して嵯峨野に隠れ住む。
小督を忘れられない天皇の命を受けた源仲国が探しにくると、
小督の弾く箏の音が聞こえてくる。
笛の名手仲国は静かに笛を奏で、二人は「想夫恋」(そうふれん)を合奏する。

小督


二つ目はそれから700年のちの江戸の吉原。
女たちが秋の野花のように美しく咲き乱れる遊郭。
三味線で清掻(すががき、開店合図の三味線)を弾く遊女の元に、男たちがやってくる。

見世清掻き


三つ目は新居祝いに豊年の秋の実りを囃して歌おう、というもの。


この曲の演奏にあたって、心すべきは「品格」なのだという。
「小督」という曲は能にも筝曲にもあり、
「喜三の庭」には能の詞が使われ、筝曲の手が入っている。
小督は愛する天皇を思って仲国と「想夫恋」を合奏する。
色っぽいことになりそうでならない。

合奏するだけで充分情愛があふれ、
格子越しに女を見るだけで充分色香が漂う。
あるかもしれないし、ないかもしれない。


昨今、文春砲なるものが数々の芸能人を乱射しまくっている。
人の色恋など探って白日の下に晒して何が楽しいのだろう?
ただ、自由に恋愛のできる人種が羨ましいだけなんじゃないか・・と思ってしまう。

秘してこそ花。
品格あってこその、恋。


何もかも表向きだけは正しくないといけない平成の世の中では、
昭和歌謡も歌えません。



絶版

十年程前、妹と親の家を片付けた時、
そのほとんどのものが、全く必要のないガラクタであり、
それらを処分する時間と労力とお金が半端なくかかる、という事実に
愕然とするというよりは、むしろ、猛烈に腹がたった。

私は親の家まで新幹線で通い、
地元の妹はゴミの日を狙って出す大量のごみをとがめられ、
車で直接焼却場に運び込むことを何回もして、
なんとか終決したけれど、
もう、家の片付けなど、二度としたくはない。

自分はそうはならないように、と思ったはずなのに、
どうやら、我が家も息子たちにとってはいらないものの宝庫で、
申し訳ない。早く、なんとかしたい。


とは思いつつ、古い義太夫の床本(台詞と譜面が一体となったもの)を
買い込んだりして、困ったものだ。

義太夫床本2
(心中天網島 時雨炬燵)
義太夫床本5
(大きさはそろっていませんが、上の本の最後の見開きです。
 黒い墨書きが詞、朱色の字は朱と言って、三味線の手。)

こういう床本はもう印刷販売されていないので、
太夫さんだった人の遺族が売りに出したり、義太夫協会が販売会をしたりしている。
文楽の人は師匠からこういう床本を借りて、真似て手描きをして使う。
私たちは自分が読める字を手描きする。

こういうものをこんな素人にバンバン売ってしまっていいのだろうか。
こうやって貴重な資料がどんどん散逸していくのに。



長唄の譜に青柳譜というものがある。

青柳譜  青柳譜2

(これも大きさが揃っていませんが、左が表紙、右が出だし部分)

これが現在、版元で印刷を停止してしまい、
印刷済みのものを順次販売して、売り切れ次第終了なのだそうだ。
すでにこの、「蜘蛛拍子舞」という譜面は絶版である。

えええええ!である。
私でさえびっくりだから、本職やら、これから本職を目指す若者やら、
芸大受験生やらは本当に困るだろうに。

私が親の家を片付けた時のゴミのように、
必要のない人や興味のない人には全くどうでもいいゴミなのだけれど、
でも、確実にこうして文化が滅びていっているのに・・・。


50年とは言わない、10年後、日本はどうなっているのだろう?

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