なんかひっかかるのよね

今どき、人生100年なんだという。

長いぜ。


先日テレビで長寿者の多い京都府京丹後市のご長寿さんを取材して放送していたが、
長寿者の特徴は老後活発に趣味に生きていることと、
ビタミンCの摂取量が多いということだった。
60で退職してから能面打ちをしている人、絵を描いている人などなど。
100才前後のどの方も老人の醜悪さはみじんもなく、溌剌としていた。

懸命に生きて子孫を残し、人としての勤めを果たしたら、
趣味に邁進して円満な死を迎える、

理想だ。




何十年も趣味だけに生きて、飽きないのだろうか?
疑問。
というか、山のように出来上がる作品は子孫の断捨離すべきゴミとして死後残るのか?
私も母の母の母の写真をどうしたらいいのかわからない。

今100才前後の方々は年金で守られて豊かな老後を送れるのだろうけれど、
私たちが100才になってもそういう世の中か?


疑問。


「変節の女王」またの名を「自分ファーストの緑のおばさん」が
過去の遺物や能無しやマスコミに持ち上げられてまたもや日本をこねくりまわすのか。
豊洲や五輪はひっかきまわしたまま放り出して、どないすんねん!!

日本ってこんな国だっけ?



芸術の秋  それから

そうなんですよ。
私も「並ぶ」のは大嫌いで、だからディズニーランドにも渋々1回行っただけという。
だから美術館の入館のための大行列に並ぶのは大嫌いです。
特に最近はメディアで宣伝し過ぎで、老いも若きも我慢大会のように並びます。
我慢に我慢を重ねて入館しても、ゾロゾロと進む人々の頭で何も見えず、
「目玉」が目に入る頃には疲れきって、「見ました」という証明を得ただけのようで、
現代の再現技術だったらレプリカで充分で、
本物を見る必要もないかも・・。

入り口の横で図録だけ売ったらいいと思います。
まあ、バカ高い図録を買っても、後であんまり見ないのですけどね。

でも、本物のサイズ感だけは体感しないとわからないんだよな〜。
だからなるべく人の集まらないであろう日に行くようにしています。




そうなんですよ、アルチンボルドはグロテスクの極みです。
15 、16世紀ヨーロッパの王侯貴族が世界のあらゆるものを収集した部屋、
Wunderkammer(ヴンダーカンマー)あるいはKunstkammer(クンストカンマー)、
不思議の部屋とか驚異の部屋(博物館の前身)に大いに寄与したのが
アルチンボルドの奇想絵画でもあります。

多毛症の人間とか小人とかを王室に抱えたりした、という事実は、
現代の洋画(映画)にフリークスを扱うものがあることにも通じますね。
人間の特徴を悪意を持って強調して描いたカリカチュアは、
スターウォーズの多様な異星人たちにそっくりでした。

ああ、こういう下地があれば、ああいった世界観もうなずける、
と思いました。


夢のように美しい宗教画や王侯貴族の肖像画と、同じ世界にあるフリークスを
笑い飛ばすようにおおっぴらに描き切るおおようさは、悪いことではない、
と思います。



そう、いいですよね、ジャコメッティ。
見えるものを見えるままに描こうとすればするほど、
サイズが小さくなってマッチ箱に入るくらいになってしまったり、
どんどん細くなって、どんどん高さばかり大きくなってしまったり、
まあ、普通の人間にはない感性の持ち主であることは事実でしょうね。


彫刻家特有のグリグリととぐろを巻くようなデッサンの線が、
私的にはゾクゾクときました。

「マッスで捕らえろ」と彫刻のクラスでよく言われましたよ。
物を塊の集合体として捕らえる、わけですね。
それで人の頭もリンゴもグルグル巻きの線で囲まれていくのですね。
やっぱりなんか懐かしい。
今はどんな風に表現するんだろう?



そんなにはしごしたら、心がいっぱいいっぱいにならないですか?って?
今の私は絵描きでも彫刻家でもないから、ならない、です。
面白い面白いと思っている。
頭と身体が疲れるけれど。


でも、ちょっと、ウッとくることもある・・。




「そんなものはみなたいしたことではない。
 絵画も、彫刻も、デッサンも、
 文章、はたまた文学も、そんなものはみな
 それぞれ意味があっても
 それ以上のものでない。
 試みること、それが一切だ。 
 おお、何たる不思議のわざか。」
            
       (『レフェメール』創刊号に掲載されたジャコメッティのメモ)




芸術の秋

最近の絵画展はキュレターの企画が面白いものが多く、
色々見たくなってしまう。

先日、9月になって人も減っただろうと、
国立新美術館の「ジャコメッティ展」に行って来た。

新国立美術館1ジャコメッティ
  
(国立新美術館)                  (歩く男)

何を隠そう、私は絵を描くよりも彫刻家になりたかった。
ジャコメッティとマイヨールとロダンが好きだと言うと、
具象しかわからん古くさい頭だと笑われるけれど、好きなんだもん、しかたがない。


昨日は上野の国立西洋美術館に行って、「アルチンボルド展」と「常設展」
そして「コルビジェ展」を見た。

国立西洋美術館

(国立西洋美術館)

コルビジェの建築作品の一つとして、この国立西洋美術館も世界文化遺産に一括登録
されているが、私はあんまり好きではない。

この美術館の敷地に入って目に入るものはロダンの彫刻だし、その後ろの建物は
分厚いコンクリートの塊にしか見えない。
「コルビジェ展」には設計図面など展示されていたが、どーもね・・・。

「アルチンボルド展」は16世紀にウイーンのハプスブルグ家の宮廷で活躍した
ミラノ生まれの画家アルチンボルドとその周辺の作家を追ったもので、
この春夏秋冬の4枚の絵などが有名。

アルチンボルド 春アルチンボルド 夏
  
(春)                        (夏)

アルチンボルド 秋アルチンボルド 冬
  
(秋)                         (冬)


その後ランチをはさんで東京都美術館に移動して「ボストン美術館展」を見た。
ボストン美術館って言ったって、その極々一部の紹介にすぎないのだから、
なんだか物足りない。

ボストン美術館展

ゴッホのアルル時代に近所に暮らしていたというルーラン夫妻の絵が目玉ということで、
二人の間に立って写真の撮れるこんなコーナーがあった。写真は撮らなかったけれど。




絵の題名と説明の書かれたプレートをフムフムと読んで、
絵から離れてホホーと眺める、歩いて移動、
フムフムと読んで、ホホー、てくてく、を繰り返して、
身体も頭も疲れた。


美術展の企画も面白いがショップのグッズのアイデアには関心する。
手を変え品を変え著作権もない名画をおちょくりまくってお金を吐き出させようとしている、
としか思えないけれど、私も結構それにはまっていらぬものを買ってしまうのだ。


で、今回すごいなあ、と思ったのが、「アルチンボルド展」で、
コンピューターで人の顔を判断して、その人の顔をアルチンボルドの絵のように
野菜で組み立ててしまう、というもの。
カメラの前に立つと、下から野菜が湧いてきて、顔になります。やってみました。

アルチンボルド1アルチンボルド2
  


私、こんな髪型じゃねーし。爆笑。


友だち

友人が、私の住む路線沿線の介護施設に母親を入所させた帰りに、
途中下車して、久しぶりに会った。


長男が生まれる前だから、もう30年以上前になる。
その友人の実家の中華料理屋をちょっと手伝ったことがある。

彼の一族は「小説より奇なり」を地で行く数奇な運命の中にあって、
孤軍奮闘するお母さんを見かねた彼が、ヒマだった私に手伝いを頼んだのだ。


彼自身もそれから、信じられないような事件ばかりに遭遇し、
お母さんが頑張っていた店も、その後、恩人に大金を持ち逃げされて畳んだ。


あの頃、本当に誰よりも力強く大きな声を出して頑張っていたお母さんも、
もう80を過ぎ、頭はしっかりしてはいても、足がきかなくなって車椅子の生活で、
かつての立ち仕事の無理がたたったのだと彼は言う。

すったもんだの大事件を経て離婚して一人者になった彼が食べることや生活全般を、
10年ほどできる限り支えてきたけれど、諸々限界で、
お母さんを説得して施設への入所を決めたのだそうだ。
10カ所以上の施設を見学して、雰囲気と介護者が明るく、
入所者が幸せそうにしている所に決めたのだと言う。
今までは彼が出来合いのものを用意したり、老人向けの仕出し弁当を利用したり
してきた食事も、施設で食べることができる。
ありがたいけれど、本音を言えばまともだったら、あれは食べられないなあ、
と彼は言う。


みどり鬼


私は、認知症の父が施設で暴れたり問題を起こしたりする度に呼び出されたことや、
母が施設の(子どもだましのように見える)レクリエーションに参加する姿が
可哀想で情けなくて、妹と泣けてしまったことや、
身体の自由がきかなくなっても頭だけはしっかりしていた母が、
全く美味しくなさそうなドロドロの食事さえとれなくなって、
胃ろうをするのが恐い、と筆談したこと、
鼻からの栄養チューブだけでも身体だけは丈夫だった父が、
認知症が進んで、私が行っても空を見つめるだけで、
そんな生活が7年も続くと、通うことも苦痛になってくる、その、
良心の呵責に苦しかったことなど、などなどなどなど、諸々、
思い出してしまった。


彼はこれから、離れた所にいる母を思って、もっと大変だろうなあ。


こうなったら、ケツの毛を抜かれるまで「先物」をとことんやってやる、
懲りない彼はそうやってまた彼なりに人生に立ち向かっているけれど、
それは「立ち向かう」というよりも「歯向かう」に近いなと思った。


半端なく身体を鍛えているという自負のある彼は、
最近スポーツジムで、ダンベルやら運動器具を少しでもきれいに置かなかったり、
自分のテリトリーに無自覚に近づくヤカラが許せなくて、喧嘩を売ってしまうのだそうだ。

「それは老化だよ」と言ってやったら、目を丸くして、
「そうか!老化か!それは気がつかなかった!そうか!」
といかにも得心したように大声を出した。


そうなんだよ。
30年もたてば、親だけでなく、私たちも、もう、
老化しているんだよ。

自分も大切にしてね。


ほんと、そう思う。




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