演奏する、ということ

人が二人以上寄れば、そこにそれなりのルールが発生して、
その関係がスムースになる。

基本概念があったとしても、その場その場、相手次第で、
変化することの方が自然なのかもしれない。


風景2



なんだか小難しい言い方になってしまったけれど、
要するに、演奏の問題である。


師匠方の義太夫の演奏会を見ても、
地方の師匠方と東京の師匠方の演奏は明らかに違う。
どこがどうって・・・。
言い方はあまりよくないのかもしれないが、
地方の師匠方の演奏は土臭い、というか、素朴、というか。
気持ち良くなって寝てしまうかも。
東京の師匠方の演奏はエンターテイメントになっていて、
目が覚める、というか、楽しめるというか、面白い。

成り立ちも求められ方も違うのだから、それは当たり前なのかもしれない、が。


私の師匠は、ある「農村文楽」に指導に行っているのだが、
そこでいつも演奏されているリズムが出来上がってしまっていて、
新人の演奏を直そうとしても、どうにも治らないのだそうだ。

それでも、その団体はその地の大学に外国から来る研究者等に、
依頼されて、日本の伝統芸能として演奏したりするそうだ。

義太夫は大阪発祥だから、大阪弁で大阪の音楽として育ってきたわけで、
呼吸や発音発声、イントネーション、間の取り方等々、
東京で、スタンダードとして演奏しているものだって、大阪から見たら
笑止千万なのかもしれない。

私が違和感を覚えた地方の師匠の演奏もその地方ではスタンダードであって、
東京の演奏は邪道なのかもしれない。

大阪の師匠方だって、「東海道中膝栗毛」という演目は「箱根を越えたらようやりまへん」
というのだそうで、「べらんめー」なんて江戸っ子の前で言えるかい、ってことだろう。

(ドイツ人の前で「第九」を歌う恥ずかしさ、と同じですね)

私が浴衣会で連れ弾きをするおじさんも、地元では依頼されてお寺などで演奏して、
好評なのだそうだ。


風景3


うーーーーーーん、おじさんが言うように、
何でもありなんだろうけれど、
うーーーーーーん、どうしたもんかなーー。



(海辺の街で暮らすとか、山の中で草木に囲まれて昼寝とか
 ふーん、望んでも得られないものは、実は多いにゃー)


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